景行天皇山邊道上陵

平成十七年四月二十八日

9:35 近鉄大阪線上本町駅から、青山町行き急行で出発。

10:19 桜井着。JR桜井駅に移動。10:36、JR桜井線・奈良行き普通電車乗車。

10:44 JR巻向駅着。

巻向駅から倭迹迹日百襲姫命大市墓(箸墓)への道筋を確かめた後、国道169号線沿いを北上する。しばらく歩くと、威容を誇る前方後円形の御陵が見えてくる。

11:10 景行天皇陵前着。ちょうど宮内庁職員らしき方がカブで乗りつけ、詰所前で何か作業を始められた。普段ほとんど参拝者の訪れることのないであろう御陵ゆえ、今、自分が進入していくと、すわ不審者現る、と思われかねない。国道の少し先に「手打ちうどん・そば」の看板が見える。先に食事をすることにしよう。

11:25 昼食のため「大和まほろば」に入る。国道沿いでもあるため、一見和風ドライブインのように見えなくもないが、「手打ち」をかなり前面に押し出しているようなので、入ってみた。

一番人気と書いてあった「まほろば定食」を注文。うどん又はそば、かやく御飯、小鉢(この日は温度玉子)、香の物。巨人の清原や、長門裕之・南田洋子夫妻などのサイン色紙や来店写真が飾ってある。

メニューを見ると各種のうどん、そば、丼物が並ぶが、伊勢海老入りのうどんとか、ジャンボえびフライといったものもある。色々な料理にチャレンジする意識は高いようだ。あちこちに麺や出汁へのこだわり、こだわり、とアピールしすぎるところに、青さを感じないでもないが。

昼食後、御陵前に戻り、写真数枚撮影後、カメラを片付け、腕まくりしていたシャツの袖を元に戻し、一礼して進み入る。

11:53 景行天皇山邊道上陵参拝。参拝後、参道入口で一礼して退出。
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このあと、御陵のまわりを一周し、ホームページ用の取材のため、少し北の渋谷バス停まで足を伸ばしたあと、「山の辺の道」を歩き、倭迹迹日百襲姫命大市墓などに参拝し、昨夏参拝した大神神社に向かうことにする。

御陵参拝案内の該当ページ

物語 日本武尊
日本書紀 全現代語訳
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垂仁天皇菅原伏見東陵

平成十七年四月二十五日

9:03 近鉄奈良線日本橋駅から、奈良行き準急で出発。ちょうどこの電車に乗っていた9:18頃、尼崎であんな大事故が起きていたとは。

9:43 大和西大寺着。9:55、橿原線橿原神宮前行き普通電車乗車。

9:59 尼ケ辻着。垂仁天皇陵は駅のすぐ近くで、ホームからも御陵の姿がよく見える。

駅西側の小さな住宅地を抜けると視界が広がり、御陵東側の道に出る。田畑のそちらこちらで地元の人が農作業をしており、目の前には壮大な前方後円形の御陵。「前方後円」とは、よく教科書に載っている写真のような、上空から見た形を言ったものでは本来なく、真横から見た形によって命名されたものであるが、ここから見れば確かに「前方後円」だ。

少し南下すると、道は周濠に沿って進んでいくが、濠端に鳥居があり、濠に浮かぶ小島を遥拝する形になっている。

小島は田道間守(たじまもり)の墓である。垂仁天皇のため、不老長寿をもたらす「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」を常世の国から持ち帰ったが、すでに天皇は崩御しており、田道間守は嘆きつつ「非時香菓」を御陵に捧げ、まもなく亡くなってここに葬られたという。島は直径数メートルの小さなものだが、そこに植えられた植木もきれいに刈り込まれている。

田道間守の墓の拝所と濠のわずかな隙間に、「歴史の道」と題する小道が北に向かって通っている。てっきり周濠を一周する道だと思い、拝所に向かう前に濠のまわりを一周してみようと進入するが、半周ほどして御陵の北側(後円部の側)まで行くと、道は御陵から離れて行ってしまう。仕方なく、道をはずれて御陵西側に広がる田畑の畦道を歩く。

尼ケ辻の駅と御陵を挟んでちょうど反対側、田畑の向こうにこんもりとした木立が見える。「皇大神社」の杜だ。行ってみると宮内庁の建てた標札があり、この神社の境内自体が垂仁御陵の陪冢のひとつであることがわかる。

10:35 皇大神社参拝。社殿前の灯篭(延享年間建立)に、向かって右側が「大政宮」、左側が「大軍宮」と彫り込まれているのが印象的である。

再び畦道に戻り御陵の南側へまわると、「は号」の陪冢がある。まばらに木が立っただけの、ちょっとした土盛りである。標札の文字もサインペンか何かで書いた結構下手な字で、ユルい雰囲気がのどかである。

11:05 垂仁天皇陵参道前着。駅からすんなり来ていれば3、4分のところを、一時間がかりでたどり着いたことになる。敷地外から写真撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して進み入る。参道は両側を御陵の濠と池に挟まれている。参道脇に植えられた青い松が美しい。
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11:10 垂仁天皇菅原伏見東陵参拝。拝所に左近の桜と右近の橘が植えられているのは、田道間守の伝承に因んだものだろう。垂仁天皇に捧げられた「非時香菓」とは、橘のことだというから。参道入口で一礼して退去する。

昼食の場を求めて駅前に戻る。来るときは近道をしたために通らなかった国道308号線の旧道(暗越奈良街道)脇に、垂仁天皇陵と安康天皇陵を示す道標がある。

尼ケ辻駅近辺では意に適う店が見つからなかったので、西ノ京方面に向かう。先ほどの参道入口前まで戻り、しばらく南下してから近鉄の踏切りを渡ると、唐招提寺の門前に至る。そこからさらに南、薬師寺方向に向かう。

12:15 唐招提寺と薬師寺を結ぶ道の途中の「大納言」で昼食。注文は天ぷら定食。内容は、天ぷら(海老、南瓜、ピーマン、海苔、丸十)、小鉢、吸い物、ご飯、香の物三種。大根おろしはついていない。

昼食後、西ノ京駅近くの「大和の匠・がんこ一徹長屋」に向かう。月曜日は定休日のようなので、写真のみ撮影。

13:03 近鉄西ノ京駅から橿原神宮前行き普通電車乗車。13:34、畝傍御陵前駅下車。神武天皇陵参拝後、13:55、陵墓事務所にて先日の崇天皇陵と、今日の垂仁天皇陵の御陵印を拝受。

今日は橿原神宮にも参拝して帰ることにする。橿原森林遊苑の中を通っていき、14:23、橿原神宮参拝。

15:03 近鉄橿原神宮前駅からあべの橋行き急行に乗車。

15:42 あべの橋駅着。

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日本書紀 全現代語訳
宮内庁書陵部陵墓地形図集成

山の辺の道(崇神陵~衾田陵~大和神社)

平成十七年四月十四日(つづき)

崇神御陵参拝後、御陵の南側の道を周濠に沿って歩き、「山の辺の道」に突き当たる。北へ向かう。
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13:00 長岳寺着。今日の最終目的地、大和(おおやまと)神社の神宮寺だった寺だ。鐘楼門、本尊の阿弥陀三尊像、庫裏(以上重要文化財)等を見学。
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13:30 重文の庫裏で昼食。七輪で沸かした湯でお茶を淹れて下さる。大小五つの竈に羽根釜が据えられた庫裏の土間で、煮麺(にゅうめん)を頂く。

昼食後、長岳寺を辞して「山の辺の道」に戻り、さらに北へ進む。中山町の集落には、大和神社の御旅所がある。崇神御陵~長岳寺のあたりは、ハイカーがたくさんいたが、このあたりまで来ると全く見かけない。

念仏寺横の墓地から手白香皇女衾田陵に向かう細道に分け入る。奈良盆地を背に、前方はるかに大和高原の山々を望みながら、丈の低い果樹が連なる丘陵地をしばし進むと、衾田陵の木立が見えてくる。静かではあるが寂しくはない、のんびりしたたたずまいの御陵だ。真摯な参拝者やマナーを弁えたハイカーならともかく、道端にゴミを捨てるような輩には訪れてほしくない、素晴らしい環境だ(墓地から道が分かれる所には、ゴミの山が出来ていた)。

敷地外から写真数枚撮影後、カメラをバッグに仕舞い、一礼して進み入る。

14:10 繼體天皇皇后手白香皇女衾田陵参拝。今年末から来年にかけて、皇室典範改正の具体案が明らかになり論議が活発になれば、「手白香皇女」の御名を一般紙やテレビでも目にする事があるだろう。
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一礼して御陵敷地より退出。もと来た道を墓地までもどり、「山の辺の道」を北へ行く。萱生町の環濠集落を右に見て通り過ぎたところで左折。「山の辺の道」を離れ、西に下っていく。田畑の広がるなかを抜け、国道169号線を横切り集落に入る。

大和神社の一の鳥居に至ったところで、鳥居の写真を撮り、カメラを片付け、一礼して鳥居内に参進する。鳥居の前を南北に走る道は、古代の幹線道路「上ツ道」。
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大和神社は、北の方石上神宮、南の方大神神社とならぶ、由緒正しき大社である。この三社はいずれも「日本最古の神社」を呼号し、延喜式神名帳所載は言うに及ばず、平安期二十二社の制ではともに「中七社」、戦前はそろって官幣大社に列格した。だが現在は、大和神社は他の二社に比べて、参拝者はいたって少ない。多くの若い神職や巫女さんが勤める石上、大神両社と違い、普段は宮司ご一家だけで奉仕されているようでもある。

14:45 大和神社参拝。かつて、戦艦大和にはこの神社の分霊が祀られ、外征から帰還の折には、艦長以下幹部が参拝に訪れたそうだ。そうした所縁から、今年の八月七・八日に、末社祖霊社に於いて、戦艦大和六十年祭を斎行されるとの事。社務所で僅かばかりの志をお納めする。

今から畝傍の事務所に、崇神天皇陵の御陵印をいただきに行くのは、時間的に厳しいようだ。日を改めるしかない。

16:36 最寄りのJR桜井線長柄駅(柳本から一つ奈良寄りの駅)から奈良行き普通電車に乗る。

17:01 奈良着。大和路線区間快速に乗り換える。

17:35 天王寺着。

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万葉集
日本歴史旅行地図帳

崇天皇山邊道勾岡上陵

平成十七年四月十四日

10:15 近鉄大阪線上本町駅から、宇治山田行き急行で出発。

10:55 桜井着。JR桜井駅に移動。11:22、JR桜井線・奈良行き普通電車乗車。

11:31 JR柳本駅着。

駅前広場の一隅に「首無し地蔵」。祠に取り付けられた由緒書によると、地蔵像がいつの頃か何者かに打ち棄てられて、付近の川の堰石となっていたところ、

「線路に於て轢死者多く、人皆首無し地蔵尊の崇ならんと申し伝えたり」

との事で、昭和六年、当地に安置したのだという。首無し死体をもたらすから「首無し地蔵」。祠の写真はホームページに掲載する予定。

その隣には、崇神・景行両天皇陵への道標(確認していないが、大正~昭和初期のものだろう)。

東の山裾方向へ向かう。この山裾に沿って南北に「山の辺の道」が通っているわけだ。

駅から崇神御陵までは、普通に歩けば8分ほどだが、道沿いに“卑弥呼の鏡”三角縁神獣鏡で有名な「黒塚」があるので、少し寄る。

国道169号線を越えたところが、崇神御陵の駐車場。

どこの御陵にも一応駐車場が用意してあるが、車が駐まっていることはほとんどない(そもそも、バリカー等で進入出来ないようにしてあることも多い)が、ここは何台も駐まっている。駐車場の横手にお手洗いの用意もあり、169号線沿いには、その名も「御陵餅本舗」や、柿の葉ずしの店まである。今まで訪れた御陵とちがい、ある程度の数の参拝者(単なる訪問者も含め)が来るのを前提とした布陣である。崇神御陵は、「山の辺の道」歩きの人たちの一大ポイントになっているのだ。

12:13 近くの伊射奈岐神社に参拝。169号線に面して、立派な鳥居や社号標、由緒を記した案内板等があったので、当然こちらが表参道かと思ったが、実は裏側だった。これも「山の辺の道」歩きの人に向けた「顔」だろう。

御陵前に戻り、駐車場から写真数枚撮影後、カメラを片付け、腕まくりしていたシャツの袖を元に戻し、一礼して進み入る。短い参道の奥に広場様の場所がある。拝所は周濠の堤上にあるため、わりと急な石段を登る。

12:20 崇天皇山邊道勾岡上陵参拝。参拝後、参道入口で一礼して退出。
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このあと、「山の辺の道」を少し歩いてから、昨夏参拝した大和(おおやまと)神社に向かうことにする。

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日本書紀 全現代語訳
宮内庁書陵部陵墓地形図集成

開化天皇春日率川坂上陵

平成十七年四月六日

11:17 JR天王寺から、大和路線(関西本線)奈良方面加茂行き大和路快速に乗車。「大和路快速」は、大阪駅発で大阪環状線を半周して天王寺に至り、そのあと久宝寺、王寺と停まったのち各駅停車となる。

11:49 JR奈良駅着。現駅舎の北側、旧駅舎と奈良国際ホテルの間から伸びる三条通を東に進む。この通りは、多くの土産店、飲食店、旅館、ホテルや映画館、銀行等が立ち並び、観光客や地元市民が行きかう賑やかな通り。まっすぐ行けば、そのまま春日大社の表参道になる、文字通り奈良のメインストリートだ。

駅から五分ほど歩き、「ホテルフジタ奈良」の手前、奈良銀行本店の向かいの開化天皇陵参道入口に着く。おそらく歴代天皇陵のなかで、最も賑やかな通りに面した御陵だろう。しかし、通りの中でここだけは、全く異質な空気が流れているかのようだ。

三条通沿いには、寺社や、古い造りの店なども色々あるが、それらはこの通りの賑やかさの中にちゃんと溶け込んでいる。と言うよりも、賑やかさの一部になっている。

ところが、参道の間口わずか数メートルほどの開化御陵は、賑やかな通りの「空気」に参加していない。参加を峻拒している。楽しげに左右の店を眺めながら歩いて来た観光客たちも、御陵前まで来ると、一様にギョッとした表情を浮かべている。このあたりの雰囲気は、実際に訪れて確かめていただきたい。

敷地外から写真数枚撮影後、カメラをバッグに片付け、一礼して進み入る。
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12:15 開化天皇春日率川坂上陵参拝。

参拝後、参道入口で一礼して退出。ホームページ用の写真撮影のため、近鉄奈良駅に向かう。そのあと、奈良の新たな観光スポットとして、近年とみにとり上げられることの多い、旧市街「ならまち」に向かう。

細い路地と古い町並みに情緒がある。しかし、ここは単なる観光地ではなく、夜ともなれば地元の人たちが飲み歩く街でもあり、路地を曲がると突如風俗店が現れたり、町家の間にストリップ劇場があったりする街でもある。

十数年前、そのストリップ小屋近くで知人が料理屋をやっていて何度か訪れたことがあり、その頃聞いたことだが、飲食店の看板を掲げながら、売春女性を斡旋する店がひっそりと存在していたという。今は知らないが。

13:00 ともかく、南市町の「京家」で昼食。靴を脱いで上がる。夜は地元の人が飲みに来る店のようで、棚には焼酎のキープボトル多数。注文は「お造り御膳」。造りは、甘えび、貝柱、サーモン、もう一種は鯵かな?あと、ご飯とうどん、汲み上げ豆腐。夜の献立も試してみたい店だ。

次の第十代崇天皇の御陵は、昼間一時間一本しか電車のないJR桜井線沿線にあり、周辺の「山の辺の道」歩きも含めて一日がかりコースになるので、今日の巡拝は開化天皇陵のみとし、その分の御陵印を頂くため、畝傍へ向かう。

13:46 近鉄奈良駅発。大和西大寺で橿原神宮前行き急行に乗り換え、畝傍御陵前駅下車。神武天皇陵参拝後、14:40、陵墓事務所にて開化天皇陵の御陵印を拝受。

畝傍御陵前から帰路につく。14:59、大和八木で上本町行き急行に乗り換え。

15:33 上本町着。

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歴代天皇・年号事典
奈良時代MAP―平城京

孝元天皇劔池嶋上陵

平成十七年四月一日(つづき)

11:35 西田原本行き近鉄田原本線普通電車で新王寺発。

11:53 西田原本着。「田原本線」なのに「田原本」駅は通らず、「西田原本」が終点。ここから近鉄橿原線「田原本」駅へ、一度改札を出て外をしばらく歩いて行く。それでも料金は一つの駅の中で乗り換えたのと同じ扱い。田原本から橿原神宮前行きに乗車。

12:19 橿原神宮前駅着。橿原神宮や神武天皇陵方面なら中央出口だが、孝元天皇陵や甘樫丘へは東出口だ。

12:25 東口からまっすぐ東へ進む。数分で石川池(剣池)の堤が右手に、大歳神社の茂みが左手に見えてくる。右折して堤の上に登り、池の上に浮かぶように見える孝元御陵の写真を撮りながら、池の南側にあたる参道入口に近づいていく。ちなみに、右折せずそのまま直進し、飛鳥川に突き当たったところで右折すれば、甘樫丘の登り口に達する。
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12:53 孝元天皇陵参道入口前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラをバッグに片付け、服装を整え、一礼して進み入る。 石段を登り切り拝所に到る。

12:59 孝元天皇劔池嶋上陵参拝。もと来た参道を降り、参道入口で一礼して退去。池尻まで引き返したところで、大歳神社にも参拝する。

13:30 橿原神宮前駅から石川池までの道の半ば位にある、イタリアンカフェ「アストリア」で昼食。往路の道すがら、「手作りサンドイッチとパスタの店」という表示を見かけた。手軽に利用できるイタリア料理店のようだったので、今日の昼はここにしようと思っていた。注文は「アストリアランチ」。ハンバーグ(三種類のソースから選択)、エビフライ、バジル風味の鶏唐揚げ、パスタ、スープ、ライス、紅茶(コーヒーか紅茶かを選択)。価格も手頃で、店の雰囲気もスノッブでないし、営業時間が中抜きなしの08:30~20:00L.O.(水曜日は定休)なので、モーニング、ランチ、ティータイム、ディナー、バーと自在に利用出来る。こういう店が近所にあれば重宝するんだが。

14:24 橿原神宮前から、近鉄電車で畝傍御陵前に移動。

14:40 神武天皇陵参拝。拝所内では神武天皇祭(四月三日)の準備をされているようだった。

14:45 孝靈天皇片丘馬坂陵、孝元天皇劔池嶋上陵の御陵印を頂く。

15:09 畝傍御陵前から帰途につく。

15:15 大和八木駅で上本町行き急行に乗り換え。

15:49 上本町駅着。

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極・飛鳥
現代語古事記

孝靈天皇片丘馬坂陵

平成十七年四月一日

09:11 JR天王寺から、大和路線(関西本線)奈良方面加茂行き区間快速に乗車。「区間快速」は天王寺のあと、久宝寺、王寺と停まったのち各駅停車となる電車。

09:28 王寺着。南口のバス乗り場でバス情報を調べたあと、南口近辺を見て歩く。銀行、ショッピングセンター、ファミレスとファストフード店、そしてサラ金。「ベッドタウン駅前セット(小)」といった感じ。「王寺ならでは」と言えそうなものが全く見当たらない。ホームページで紹介出来るネタがない・・。

駅南口バス乗り場から、「白鳳台二丁目」行き奈良交通バスに乗車し、三つ目のバス停「王寺本町二丁目」で下車。降りたバス停と道を挟んだ向かい側に、孝靈天皇陵と武烈天皇陵を示す道標あり(大正十二年に建てられたもの)。バスで来た道(国道168号線)は、やっと対面通行できる程度の道幅なのに、交通量が非常に多い。向かいに渡るのも一苦労。

古くからの住宅地を抜けると道は登り勾配となり、比較的近年開発されたように見える住宅地に入ってすぐ、孝靈天皇陵の茂みが見える。

10:35 御陵前着。参道入口向かいの駐車場から写真を撮り、カメラを片付け、服装を少し整えたうえで、一礼して参道に入り石段を登る。
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10:43  孝靈天皇片丘馬坂陵参拝。守衛所横から、今登ってきた王寺本町の住宅街やバス道を眺望。すぐそばまで住宅地が迫っている場所なのに、静穏と清浄がよく保たれている印象を受ける。参道入口まで戻り一礼して退去。

11:05 「王寺駅」行きバスで駅まで引き返す。今度は駅北口側を見て廻る。北口は法隆寺への観光拠点にもなるので、南口よりは個性的な店があるかも、と思ったが・・・・ない。大型ショッピングセンターが全てだ。御陵へ行くときに乗ったバスの行き先が、「白鳳台二丁目」といういかにもな名前であったことからも分かるように、当地では昭和後期に、大阪のベッドタウンとして幾つもの新興住宅地が開発され、駅前もそれにともなって塗り替えられたのだろう。確かに、天王寺まで快速17分というのは便利ではある。

次は橿原市の孝元天皇陵を目指す。JR王寺駅北東に隣接する、近鉄田原本線新王寺駅に向かう。

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