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反正天皇百舌鳥耳原北陵

平成十七年五月二十一日(つづき)

13:22 JR上野芝から、天王寺行き普通電車に乗車。三国ヶ丘で下車。三国ヶ丘はJR阪和線と南海高野線の駅が隣接しており、ここで乗り換えるのだが、一度駅の外に出て、仁天皇陵への道筋を確認する。その後、南海高野線三国ヶ丘駅から、難波行き各駅停車に乗車。

13:49 堺東着。東口から出る。

堺東駅前は、西口側と東口側で様相が非常に異なっている。堺市役所や高島屋、商店街などがあり、幹線道路も走る繁華街の西口に対して、東口は改札自体も小ぢんまりしたもので、駅の前からすぐに静かな住宅地が始まっている。その住宅地の中を走る狭く、角の多い道を行く。

14:00 反正天皇陵前着。向かいの御陵駐車場から写真撮影後、カメラを片付け、服装を整える。道と立入り禁止の拝所の間の、一般用拝所はすこぶる小さく、一~二畳位か。一礼してそこに一段上がる。

14:07 反正天皇百舌鳥耳原北陵参拝。一礼して道の方に一段下がる。
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御陵東側にまわり、後円部方向へ歩く。

14:12 方違神社着。よく知られているように、「堺」は、摂津・和泉・河内の「境」に由来し、このあたりの地名「三国」も同様だが、そこから「何処の国にも属さない、方位の無い清地である」(神社の由緒書)として、方除祈願で知られるようになり、新築や転居の際の厄除けで参拝者が多く訪れるのだそうである。境内に沢山の車がとまっていて、神社の規模の割には賑わっているのもそういう訳である。神社の境内は、反正御陵周濠の北のほとりにあって、後円部がよく見える。

御陵西側には、周濠沿いの道はないので、もと来た道を逆に拝所前まで戻り、さらに駅まで戻る。

踏切を渡り、駅の西口側にまわる。駅前の歩道橋の下に「左 反正天皇御陵道 二丁」と彫り込まれた石柱がある。何やら落書きがされている。

駅前のショッピングセンターや商店街などを少し見て回ってから、帰路につく。古市陵墓監区事務所での御陵印拝受は、後日ということになる。南海堺東駅から、難波行き各駅停車に乗車。

15:40 難波着。

御陵参拝案内の該当ページ

宮内庁書陵部所蔵 古鏡集成
日本書紀 全現代語訳
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履中天皇百舌鳥耳原南陵

平成十七年五月二十一日(つづき)

11:20 大仙公園に入る。広々とした公園で、土曜日ということもあって多くの家族連れで賑わっている。

この公園には、堺市立博物館、日本庭園、平和塔、都市緑化センターなど見所も多く、芝生の広場で遊ぶこともできる。今のように気候が良ければ、一日中ここで過ごすこともできるだろう。途中、「身代わり地蔵尊」なるものがある。管理者として個人の名前が大きく表示されているのは、公共の公園内であるため、「政教分離を定めた憲法に違反する」、という言いがかりをかわすためであろうか。ケヤキ、アラカシ、ハナミズキ、ヤマモモ、イチョウなどの木々を見ながら公園の南へと抜けて行く。

大仙公園の南端に達すると、履中御陵後円部の丈高い緑が見える。御陵東側の住宅地を通って拝所に向かう。(写真は前方部)
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12:20 履中天皇陵前着。敷地外から写真撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して進み入る。

12:25 履中天皇百舌鳥耳原南陵参拝。拝所の両隣すぐのところにまで住宅が迫っている。一礼して拝所より退出。

御陵西側の道を通って、一度大仙公園の際まで戻ってみる。何度か回り道を強いられる東側の道と違って、周濠に沿って一直線に通っている。仁御陵から来るならこちらの道の方が良いだろう。

西側の道を戻って、履中御陵前を通り過ぎ、JR上野芝駅に向かう。次は反正天皇陵を目指す。

御陵参拝案内の該当ページ

物語日本史
古事記

仁天皇百舌鳥耳原中陵

平成十七年五月二十一日

9:07 JR天王寺駅から、阪和線和泉砂川行き普通電車で出発。

9:28 百舌鳥着。この駅は戦前、「百舌鳥御陵前」といったらしい。駅前の歩道橋に上ると、家並みの向こうに御陵が見える。さすがに大きい。

9:55 御陵前着。御陵のすぐ南には大仙公園があるが、仁天皇陵自体も、博物館や平和塔などとともに公園地区の「目玉施設」として組み込まれている感じ。寂しげな御陵や、宅地開発で肩身の狭い思いをしているような御陵ばかり巡って来た身としては感慨深い。ただ、非歴史的景観という意味では、新興住宅地も公園も、五十歩百歩のような気がしないでもないが。写真数枚撮影後カメラを片付け、服装を整え、一礼して一般拝所に入っていく。

10:03  仁天皇百舌鳥耳原中陵参拝。一礼して退下。
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10:15 カフェレストラン「もず野」で昼食(ブランチ?)。うな重を頼む。

10:30 御陵周回開始。

今までの例では、御陵のまわりをすんなり一周できた事はなく、最初は周濠沿いにスタートしても、途中で道があさっての方角にはずれて行ってしまったり、道が無くなったりすることばかりだったが、今回は大丈夫そうだ。ジョギングやサイクリングをしている人を見かけるが、この人たちは多分、御陵を一周しているのだろう。実際、御陵を完全に周回する道が整備されている(北側で一部、国道310号線の歩道を行くことになる)。

それにしても、犬のフンを見かけないのは驚きだ。これだけ長い距離、これだけ犬の散歩に適した遊歩道があり、戸建ての住宅がこれだけ多く立ち並んでいるにもかかわらず、全く見かけない。一周するあいだ、一度も見かけずに済むのではないかと期待したほどだ。御陵西側の特に綺麗に整備された場所で、一個見つけてしまったのが甚だ残念である。

三国ヶ丘駅近くには、1965年建立の「右 仁天皇御陵参拜道」との石標がある。戦後でもこういうものを建てる奇特な方がいたわけだ。仁天皇陵は地元の人たちに愛され、親しまれている。

大体、大阪では仁天皇は最も親しまれている天皇だろうと思う。大阪市内の高津宮や東高津宮の御祭神でもあるし、私が子供の頃、例の「カマドの煙」の話とともに、最初に覚えた天皇の名も「仁徳天皇」だった。

11:17 一周完遂。もとの拝所前に戻る。大仙公園を通り抜け、履中天皇陵へ向かうことにする。

御陵参拝案内の該当ページ

風の王国
物語 仁徳天皇

應天皇惠我藻伏崗陵

平成十七年五月十一日(つづき)

12:22 道明寺着。西に向かう。

12:34 道明寺天満宮着。

この地は、相撲や埴輪の創始者とされる野見宿彌が拠点とし、土師氏の祖となったと云われるところである。御祭神の菅原道真は土師氏の後裔でもある。垂仁天皇菅原伏見東陵のあたりも土師氏=菅原氏の拠点だった。

街中や住宅地の中にある中小社寺の多くが、時代の推移につれて、土地の切り売りなどにより、境内地を狭める例が多い中、広々とした社域を保っている。社殿も豪華なものだし、立派な会館も建てている。地元以外での知名度はそれほど高くない神社だが、よく社勢を維持している。12:46、道明寺天満宮参拝。

国宝十一面観音立像で有名な蓮土山道明寺の前を通る。ここも土師氏の寺であった。

13:12 應天皇陵参道入口着。古市陵墓監区事務所の建物が見えるが、御陵自体は木々が鬱蒼と茂る奥の奥にあり、ここからは見えない。写真数枚撮影後カメラを片付け、服装を整え、一礼して参道に入っていく。
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13:24 應天皇惠我藻伏崗陵参拝。巨大な御陵のごく一端を拝見する。

13:30 参道脇の宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所で、仲哀、應両天皇陵の御陵印を拝受する。のち、参道に戻り一礼して退下。

御陵の西側を通って、後円部側にある誉田八幡宮を目指す。「御陵宿り神社」としては最大級の神社だ。

14:05 誉田八幡宮参拝。

お寺のお堂と言われればそう見えなくもない拝殿は、社寺めぐりなどをしていればお馴染みの、「豊臣秀頼が片桐且元を奉行に任じて再建した」という由緒を持っている。

かつての神宮寺、「長野山護国寺」の遺構は南大門だけだということだが、境内のつくりなど見ても往古の神仏習合時代の色は濃い。しかし時折見かける、「本来は“長野山護国寺”という寺であったものが、明治の廃仏毀釈で神社に創り変えられた、捏造された神社」といった説明は言いすぎであろう。鳥居の前にある、天明二年に建てられた燈籠の正面にはっきり「譽田八幡宮」と刻まれている。

拝殿の右方向、式内社「当宗神社」の祠を経て奥に進むと、鎌倉期建造の石造の反橋「放生橋」がある。今は橋の手前に柵が設けられていて入ることは出来ないが、橋の向こうは應天皇陵の濠の外提である。昔は祭りの時、御陵後円部の頂上にあったお堂まで神輿を揚げたらしい。今はさすがに御陵に「上陸」することは出来ないものの、九月十五日の秋祭りの夜には、宮内庁管理地の奥深く、内濠のほとりまで神輿が渡御することが許されている。「御陵宿り神社」の面目躍如である。

應御陵の東側へ出るが、住宅に阻まれて木立が遠くに見えるだけなので、引き返す。結局、應御陵では、拝所から見えた前方部の木々以外には、濠の水一滴見ることはなく、外提ばかりを見てきたことになる。

15:16 近鉄南大阪線古市駅からあべの橋行き準急に乗車。

15:36 あべの橋着。

御陵参拝案内の該当ページ

物語 応神天皇
謎多き神 八幡様のすべて
宮内庁書陵部陵墓地形図集成

仲哀天皇惠我長野西陵

平成十七年五月十一日

10:14 近鉄南大阪線あべの橋駅から、長野行き準急で出発。

10:26 藤井寺着。

駅東側の商店街「西門筋」を南下。西国第五番、紫雲山葛井寺(ふじいでら)の門前を通る。ここに参拝したことはないが、本尊で国宝の千手観音像が大阪市立美術館で展示された時に見学したことがある。

10:50 辛国神社参拝。社名から類推されるように、大陸の神を祀ったのが神社の始まりとされるが、現在の御祭神は饒速日命、天児屋根命、素戔嗚命の三神。平安期に素戔嗚命が御祭神とされ、天児屋根命が室町期、饒速日命は神社合祀によって明治期に鎮座したとの事。以前にも参拝したことがある。

住宅地に入ってほどなく仲哀御陵の周濠西側に行き当たり、さらに南下して拝所に向かう。

11:10 仲哀天皇陵駐車場着。ハスの葉に覆われた濠の彼方には二上山も見えている。写真数枚撮影後カメラを片付け、服装を整え、一礼して参道に入っていく。
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拝所前を通る参道が、周辺の住宅地の生活道路のようになっており、自転車に乗った主婦などが頻繁に通って行く。先ほど参拝した辛国神社の境内も抜け道がわりに利用されていたようだが、自転車での通り抜けは禁止されていた。まあ、「ここは御陵の参道だから自転車で通り抜けるのは好ましくない」などと言っても、この人達には決して通じないだろう。それはまだしも、拝所の縁石に累々と犬の小便らしき痕がついているのには全く閉口する。自分の家の墓石に犬の小便をひっかけられても、笑って許すことができるのだろうか。嘆かわしい限りだ。

11:21 仲哀天皇惠我長野西陵参拝。参道の反対側まで行き、一礼して退出。

御陵の東側を北上して藤井寺駅方面に戻る。

11:55 西門筋近くの「麺太鼓」で昼食。日替わりそば定食。とろろそば、高野豆腐含煮、おにぎり二個。

12:18 引き続き應天皇陵参拝のため、藤井寺から二つ先の道明寺に移動のため近鉄電車乗車。

御陵参拝案内の該当ページ

謎多き神 八幡様のすべて
現代語古事記
神功皇后は実在した

成務天皇狹城盾列池後陵

平成十七年五月九日

9:03 近鉄奈良線日本橋駅から、奈良行き準急で出発。

9:43 大和西大寺着。9:56、京都線京都行き普通電車乗車。

10:00 平城着。まず、駅北方の神功皇后陵を目指す。

神功皇后陵のすぐ南側に列なる小山があり、その南端に山陵八幡神社という神社がある。陵墓や陪冢に神社が「宿った」例は、これまでにもいくつか見てきたが、八幡信仰と神功皇后の関係を考えても、この神社も同様のものかと推測される。なお、次回は神功皇后の夫君・仲哀天皇と御子・応神天皇の御陵に参拝予定であるが、応神御陵には、最大級の「御陵宿り神社」が附属している。

10:15 山陵八幡神社参拝。拝殿内に掲げられた額に御祭神として、「気長足媛命(キナガタリヒメノミコト)」「品陀和気命(ミダワキノミコト)」「王依媛命(オオヨリヒメノミコト)」の三神が挙げられている。よく知られた名前とはちょっとずつ違っていて、パラレルワールド感を漂わせている。単純な間違いなのか、この神社固有の伝承によるものなのかは不明であるが。

10:22 神功皇后陵参道上り口着。ここからは、まだ御陵は全く見えないが、上り口附近の写真を撮ってからカメラを片付け、服装を整え、一礼して石段を登っていく。

10:37 神功皇后狹城盾列池上陵参拝。登ってきたのとは反対側へ下っていく道があるので、そちらへ下り、通用門風の出入り口にて一礼して退下。
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ここから神功御陵を一周する事にする。参道入口からは御陵の姿を窺うことすら出来なかったが、こちら側(御陵の東側)では、閑静な高級住宅地のすぐ前に池や濠を挟んで豪壮な前方後円形の御陵を望むことが出来るので、ここで写真を数枚撮る。御陵の北側には日本画家・上村淳之画伯の大邸宅もある。上村氏は自宅に動物園なみの施設を備えて、多くの鳥類を飼育していることで知られるが、山ひとつ占めるかのごとき広大な敷地の奥からは、様々な鳥の鳴き声が聞こえてくる。

11:21 最初の参道上り口に帰着。次は平城駅を南に越え、成務天皇陵へ向かう。

11:40 成務天皇陵拝所前着。この辺りは成務天皇陵のほか、日葉酢媛命陵、称徳天皇陵が隣接し、さながら「御陵の杜公苑」といった風で、非常によく整備されており、写真撮影にも力が入る。撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して成務天皇陵拝所に進入。
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11:50 成務天皇狹城盾列池後陵参拝。のち、一礼して拝所より退出。成務天皇陵と日葉酢媛命陵はジグソーパズルのピースを嵌め込んだようにピッタリ隣り合っているが、その両御陵の間に宮内庁の詰所があり、橿原市ナンバーのカブ数台や、周濠を渡るのに使うらしいゴムボートなどが置いてある。

12:01 日葉酢媛命陵拝所入口前着。敷地外から写真撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して進み入る。拝所のすぐ南側は、なにやら鬱蒼と茂った森になっている。手持ちの地図には何も載っていなかったので後で見に行ってみよう。
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12:07 垂仁天皇皇后日葉酢媛命狹城之寺間陵参拝。日葉酢媛命は、前々回参拝した垂仁天皇の皇后。野見宿彌の建言によって初めて陵墓に埴輪が並べられた、という有名な伝承はこの御陵の事である。前回参拝した相撲神社の御祭神が野見宿彌だった。拝所から見て正面やや左の御陵の木立に一羽のゴイサギが悠然ととまっている。一礼して拝所より退出。

日葉酢媛命陵拝所南側の森は、やはり神社だった。山上八幡神社。本殿が御陵拝所すぐ前の茂みの中にあるので、例の如く、神社で拝礼すると御陵にも同時に拝礼する格好になる。12:15、山上八幡神社参拝。

近鉄大和西大寺駅方面に向かう。称徳天皇陵には、その順番がまわってきた時に参拝する予定なので、今回は前の道で一礼して通り過ぎる。

13:15 奈良ファミリー地下のフードオアシス内Omu Omuで昼食(カルフールなんかにも入ってるオムライス屋さんです)。

13:55 大和西大寺から橿原神宮前行き急行に乗車。14:25、畝傍御陵前駅下車。神武天皇陵参拝後、14:45、陵墓事務所にて前回来られなかった景行天皇陵分と成務天皇陵分の御陵印を拝受。

畝傍御陵前から帰路につく。15:15、大和八木で上本町行き急行に乗り換え。

15:49 上本町着。

御陵参拝案内の該当ページ

神功皇后は実在した
謎多き神 八幡様のすべて

山の辺の道(景行陵~穴師坐兵主神社~大市墓~大神神社)

平成十七年四月二十八日(つづき)

景行御陵参拝後、御陵の南側の道を周濠に沿って歩いていく。ふと、目の前をイタチが横切り、御陵の木立の中へ一目散に駆け込んでいった。

ほどなく「山の辺の道」に突き当たり、振り返ってみれば、はるかに耳成山と畝傍山が望める。周濠に沿って北に曲がる。このままさらに北へ向かえば、先日訪れた崇神御陵に至るが、そちらへは行かず、景行御陵を一周する形で国道169号線に戻る。先ほど食事した「大和まほろば」の前に出る。

最寄のバス停「渋谷」 の写真を撮るため、国道を北へ向かう。「いちご即売」の看板を掲げたビニールハウスがあり、あたりにはイチゴの甘い香りが、むせるほど立ちこめている。

バス停の写真を撮ったあと、もと来た道を引き返し、景行御陵の東から「山の辺の道」に入る。なだらかに広がる段々畑の中を一人歩く。かなり歩いてから振り返っても、景行御陵は小さくなるどころか、その雄大さをますます強く感じさせるばかりである。
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穴師坐兵主神社を目指し、「山の辺の道」をはずれて山側へと、集落の中の坂道を登っていく。途中、景行天皇の宮跡の石碑が建っていて、兵主神社の設置した説明板がある。きわめて興味深いことに、『秀真伝』を参照した説明がなされている。

坂を上り切り、道が平坦になると、先の方に鳥居が見える。そちらに向かおうとして、右手の少し奥まったところにも鳥居があるのに気づく。兵主神社の摂社、相撲神社だ。野見宿彌と当麻蹴速が命懸けの「相撲」をとったという有名な伝承の故地である。先にこちらに参拝しよう。地元の子供相撲でもやるのだろうか、境内は草生した広場という感じで、神社の境内らしさはない。お社は境内地の隅っこの方にある。屋根の一部は朽ち果てるに任せられている。蒼枯たるさまを鑑賞するなら、こういうのも味わいがあっていいのかも知れないが、御祭神のことを思うなら、やはり新調されて然るべきだろう。
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13:15 相撲神社参拝。そのあと、穴師坐兵主神社参道を進む。参道といい、社殿といい、往古は相当の名社として鳴らしたであろうことが窺われるものなのだが、現在は残念ながら衰勢にあるようだ。

13:20 穴師坐兵主神社参拝。なかなか立派な社務所の建物があるが、無人かつ、羽蟻らしき蟲が飛び交っている。心配だ。

一度「山の辺の道」に戻るが、「箸墓」として知られる倭迹迹日百襲姫命大市墓に向かうため、今度は山と反対側、国道方面へ纒向川に沿って下っていく。

国津神社に参拝したのち纒向川から離れ、JRの踏切を越えれば、ほどなく大市墓の後円部に達する。大市墓は北側で「大池」という池に接しているが、他に周濠はないので、道は墓南側の木立に沿って後円部から前方部に進む。今日は気温が高くかなりバテてきていたので、一旦国道まで出て飲み物の自販機を探す。

喉を潤したのち、下って来たのとは反対の大池の側から大市墓の拝所に向かう。14:30、拝所前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを仕舞い、一礼して進み入る。

14:38 孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命大市墓参拝。参拝後、拝所入口で一礼して御墓敷地より退下。
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纒向川沿いの道を逆戻りする。上り勾配が延々続き結構しんどい。県道50号線を経て「山の辺の道」に復帰。

ここで景観は一変する。今まで山裾のなだらかな傾斜地を進み、腰折田や果樹園と古い集落を抜ける道が交互に続いてきた「山の辺の道」だが、ここから先は、より山際に近い所を鬱蒼たる木々の中を進んで行くことになる。ここはもう聖なる三輪山の麓なのだ。

15:20 桧原神社参拝。さらに南へ向かうと、玄賓庵を経て道はますます細くなり、狭井神社の手前では人一人がやっと通り抜けられる程度のものになる。

16:00 狭井神社参拝。三輪山といえば太古からの絶対の禁足地、というイメージがあるが、実はこの狭井神社境内に登拝口があり、14:00までに所定の手続きにより申し出れば入山を許される。この登拝は観光のためのものではなく、真摯な信仰者を対象としたものであるから、カメラ等の持ち込みは厳禁、自らゴミを出さないのはもちろんのこと、万一山中でゴミを見かけた場合には拾って帰ることも求められる。

16:10 大神神社参拝。昨夏以来の参拝になる。時間が遅いので、畝傍の事務所での景行天皇陵御陵印拝受は、日を改めざるを得ない。
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16:40 最寄りのJR桜井線三輪駅(巻向と桜井の間の駅)から普通電車に乗り、桜井に向かう。

16:50 桜井で近鉄の駅に移動し、近鉄大阪線上本町行き準急に乗車。

17:59 上本町着。

御陵参拝案内の該当ページ

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