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『御陵参拝案内』更新

『御陵参拝案内』仁天皇陵/履中天皇陵/反正天皇陵/允恭天皇陵を追加しました。
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二上山(當麻寺~鳥谷口~雌岳山頂~雄岳山頂~二上山墓~葛木倭文坐天羽雷命神社)

平成十七年六月二十四日

9:24 近鉄南大阪線あべの橋駅から、橿原神宮前行き準急で出発。

10:01 当麻寺駅着。参道を西へ向かう。途中、「相撲館」や「當麻蹴速之塚」といった、当麻蹴速関連施設が綺麗に整備されている様を見る。野見宿彌の相撲神社の頽勢とは対照的である。これも戦前の反動だろうか。

10:21 當麻寺仁王門前着。

今日は二上山登りの「ついで」という形になってしまったが、中将姫伝説で知られ、国宝、重文多数を所蔵する當麻寺は、一日かけてじっくり見てまわりたい寺ではある。
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陵墓関係の話題としては、當麻寺は用明天皇皇子「麻呂子親王」の創建になるとされ、同「親王」は寺背後の麻呂子山に葬られたとも言われるが、「説話」扱いである。折口信夫も「まろ子」とは「おれの子」というほどの意味だと言っている。

當麻寺北側の道から、登山口方向に向かう。

11:00 當麻山口神社参拝。落ち葉などを掃く竹の熊手が置いてあり、境内を清掃して下さる方に感謝する旨の宮司名での貼り紙がある。訪れた参拝者が自発的に清掃していくのだろう。一方、近くにある「傘堂」は、相合傘の下にカップルの名前を書いた落書きでびっしり埋め尽くされている。住所まで書いている恥晒しも少なくない。

11:20 鳥谷口着。二上山からのびる尾根のひとつの東端上に、二十年ほど前に発見された方形の塚がある(写真は塚への登り口附近)。塚の前まで登って行くと、小さな横口式石槨を目の当たりにすることができる。「こう こう こう」と呼(よば)うとき、冰りきった「をゝう・・・・・・」という声が和する事はあるだろうか。
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11:25 大龍寺前着。ここからいよいよ山の中に入って行くが、まだ舗装はされている。

11:30 祐泉寺前着。このあたりから未舗装の登山道となる。登り勾配の舗装路を歩くよりもこちらの方がいい。

11:45 岩屋峠着。ここから雌岳山頂までのつづら折れがきつい。

12:01 雌岳山頂着。東に奈良盆地、西に大阪平野の絶景を望・・・める筈だったが、あいにくの曇り空で見通しは悪い。山頂の平地には日時計がつくられているが、日が差さないため、今日は時計としての用は成していない。
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少し休憩したのち、雌岳と雄岳の間の鞍部をなす「馬の背」まで降りてさらに休憩。エネルギー切れか。

12:30 「馬の背」発。雄岳山頂を目指すがここの登りもかなりきつい。速水卓や葛城哀のようにはいかない。

12:48 雄岳山頂着。「美化協力金」として200円徴収される・・・筈だったが、誰もいないのでお金の徴収はされない。どういう様子でお金の徴収をしているのか興味があったのでむしろ残念だ。

こちらの山頂は雌岳とちがって、木々に囲まれているためまわりの景色を見ることはできない。山頂には葛木坐二上神社のほかには何もなく、ハイカーもほとんど姿を見せない。

12:55 葛木坐二上神社参拝。徴収される筈だったお金は御賽銭とする。
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雄岳山頂から二上山駅や二上神社口駅へと下りていく径の端に、「大津皇子御墓 東一丁」の石標があり、そこから少し下る。13:10、大津皇子御墓前着。写真数枚撮影後、カメラを仕舞い、服装を整え、一礼して前進。
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13:15 天武天皇皇子大津皇子二上山墓参拝。一礼して後退。

二上神社口駅への下り道は、延々とかなり急な山道が続く。丸太を階段状に組んであるのだが、その丸太を留めるための金具が剥き出しになっており、非常に危険である。駆け下っていくが、エネルギー切れは甚だしく、何度も立ち止まる。朝飯を喰って来るべきだった。

14:17 葛木倭文坐天羽雷命神社参拝。神社の拝殿としては珍しく、灯明としてあげる蝋燭が置いてある。

14:30 近鉄南大阪線二上神社口駅着。実は二上山登山のあと、引き続き顕宗天皇陵に参拝するつもりだったのだが、今日は断念。

15:21 あべの橋駅着。このあとようやく昼食を摂った。

風の王国
万葉集

寧天皇河内坂門原陵

平成十七年六月十三日(つづき)

12:05 河内長野行き近鉄普通電車で、古市着。

12:25 駅前から国道170号線に出る交差点にある、「季節料理 清月」で昼食。「季節料理」と銘打ってはいるが、品書きや会席の献立を見ると寿司職人色が濃い。シンを張るのは寿司の修業から入った人であろう。海鮮丼を注文。丼には、雲丹、イクラ、鮪、鯛、サーモン、烏賊、海老。あとは赤出汁と小鉢、八分の一カットのオレンジ。

昼食後、170号線を少し南下し、「仁賢天皇 清寧天皇 日本武尊御陵参拜道」の石標がある道を入っていく。石標は戦前のものだが、この道は史跡めぐりのルートとして整備されているようだ。

しばらく住宅地の中を歩くと、左手に日本武尊白鳥陵が見えてくる。日本武尊が化身した白鳥が、「羽を曳くように飛んだ」というのが、ここ羽曳野の地名の由来である。雄略御陵同様、ここの周濠も汚い。岸近くにはゴミや油が溜まっている。同じ住宅地の中にある御陵でも、仁徳御陵は別格としても、仲哀御陵などの周濠はこのように汚くはなかったが…。

御陵の拝所前の周濠上に、木造の和船が浮かんでいる。宮内庁職員が陵丘に渡るためのものだろうが、浮かべて放置しておいて大丈夫なのだろうか。いざ使用する時、途中で沈まなければいいが。

13:15 白鳥陵拝所前着。敷地外より写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して拝所に進み入る。
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13:20 景行天皇皇子日本武尊白鳥陵参拝。一礼して退下。一度周濠沿いの道まで引き返し、白鳥陵のまわりを一周し、大阪外環状線に出る。

外環沿いを少し北上すると、道路を挟んで西側に寧天皇陵の後円部、東側には歪な形をした陪冢がある。この陪冢、無愛想なフェンスで囲まれた、雑草ばかりが繁る土盛りであり、なにより形が塚にはとても見えない歪さであることから、私は残土置き場だろうと思い、あまり期待せずに近くまで寄ってみると、なんと「寧天皇河内坂門原陵倍塚 宮内省」との標柱が立っている。

13:50 寧天皇陵拝所前着。敷地外より写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して拝所に進み入る。
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14:04 寧天皇河内坂門原陵参拝。一礼して退下。つづいて、來目皇子御墓を目指す。

右に左に曲がりくねりながら、羽曳野丘陵を上っていく道を十数分進む。大阪府立大学羽曳野キャンパス(旧大阪府立看護大学)前を通り、來目皇子御墓参道前に至る。

14:20 來目皇子御墓前着。敷地外より写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して参道に進み入る。

私が物心ついたころ、「御陵」というものを初めて意識したのが、この來目皇子御墓だった(まわりの大人に「陵」と「墓」の区別を知る人はなく、みな「ごりょうさん」と呼んでいた)。当時住んでいた場所は今、府立大学のキャンパスに呑み込まれていて跡形もないが、「ごりょうさん」と、それに接する小さな公園「羽曳山児童遊園」は変わらずそこにあった。
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14:35 用明天皇皇子來目皇子埴生崗上墓参拝。一礼して退下。

14:57 「羽曳野病院前」バス停から近鉄バスに乗車。15:04、「古市駅前」着。

15:16 近鉄南大阪線古市駅からあべの橋行き準急乗車。15:21、土師ノ里着。

15:45 應天皇陵参拝後、古市陵墓監区事務所にて雄略、寧両天皇陵の御陵印を拝受。

16:00 近鉄南大阪線土師ノ里駅からあべの橋行き準急に乗車。

16:16 あべの橋着。

御陵参拝案内の該当ページ

物語 日本武尊
古事記

雄略天皇丹比高鷲原陵

平成十七年六月十三日

9:14 近鉄南大阪線あべの橋駅から、河内長野行き準急で出発。

9:23 河内松原着。向かいのホームで待っていた普通電車に乗り換える。

9:28 高鷲着。北へ向かう。

9:46 雄略天皇陵前着。この御陵は、周濠に囲まれた円形の本体部分と、周濠によってその本体から分離している方形の「前陵」からなるという、特異な形態を持っている。前陵部は御陵の荘厳化のため、離れた所にあった方形の塚を明治期に兆域に組み込んだものである。

前陵部にある拝所前で写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して進み入る。

9:55 雄略天皇丹比高鷲原陵参拝。拝所前から北へ抜けていく参道を通り、一礼して御陵駐車場側に出る。

御陵北側の道を通り、周濠に浮かぶ円丘部を拝しつつ東へ向かう。
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周濠の、特に岸近くには、大量のゴミが浮いている。

のち、御陵南側の道から羽曳野市立陵南の森総合センターに入る。「陵南の森」というネーミングからは、森林公園的なものを連想しがちであるが、ここはそうしたものではなく、図書館や公民館、老人福祉センターなどが一体化した施設である。

同センターの最奥部にある障害者施設の裏手から、雄略御陵を拝見する。円丘部と前陵部の合間を近くから見ることができる。その後、しばらく図書館で過ごす。

来るときは高鷲駅の北口から出発したのだが、南口からスタートする方が道が判りやすい事を確認したあと、駅の少し南にある式内社、大津神社を目指す。

この神社は、もともと地元氏族の氏神として奉斎されていたらしいが、時代の転変で結局「牛頭天王社」となり、維新後例の如く、素盞嗚尊らを御祭神とすることとなったようだ。

近鉄で高鷲のひとつ大阪寄りに恵我ノ荘という駅があり、その近くに全国第何位だかの大きさの前方後円形の塚、「大塚陵墓参考地」がある。明治後期まで、この大塚山の後円部頂上に大塚社天満宮があり、現在はこの大津神社に合祀されている。11:40、大津神社参拝。

高鷲駅に戻り、引き続き寧天皇陵など三陵墓を目指す。

御陵参拝案内の該当ページ

万葉集
現代語古事記

安康天皇菅原伏見西陵

平成十七年六月十日

9:03 近鉄奈良線日本橋駅から、奈良行き準急で出発。

9:43 大和西大寺着。9:55、橿原線橿原神宮前行き普通電車乗車。

9:59 尼ケ辻着。垂仁天皇菅原伏見東陵が見える。

10:26 駅前のバス乗り場から、「学園前駅」行き奈良交通バスに乗車。10:31、三つ目のバス停「宝来」で下車。少し先の「宝来」交差点から西北へなだらかに上る道を進む。

10:46 安康天皇陵前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して進み入る。

10:55 安康天皇菅原伏見西陵参拝。このあたりは、第二阪奈道路宝来インターや、奈良国際ゴルフ場の近くだが、宅地開発の波はまだ及んでおらず、今のところ静かな環境が保たれている。血で血を洗う皇位継承闘争の末に弑せられた安康帝のみたまも、今は安らけくお鎮まりであろうか。一礼して退下。
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御陵西側の第二阪奈への進入路の側道から、御陵北側の細道に入る。空濠をはさんで陵丘がよく見え、中世豪族の城館址の風情を感じる事ができる。反対側は奈良パークホテルの裏手で、プールや従業員寮が見えている。さらに進むと、蓬莱神社に至る。神社前には八王子池という溜池がある。「八王子」といえばスサノオノミコトの御子神である。

11:15 蓬莱神社参拝。社殿前の由緒書によると、御祭神は須佐之男命と櫛稲田姫命。古来、安康天皇陵の守護神であり、明治四十年に垂仁天皇陵北側の陪冢に鎮座していた兵庫山神社を合祀したのだという。

その陪冢「兵庫山」は、尼ケ辻から暗越奈良街道をバスで来る道すがら車窓から見えるもので、蒲生君平の『山陵志』では田道間守の墓に擬し、『大和名所図絵』『元禄山陵図』では、安康天皇陵としているものである。『元禄山陵図』には、兵庫山の上に牛頭天王社が描かれている。この牛頭天王社が、兵庫山神社の前身だろう。牛頭天王を祭神とする神社は明治維新後、一律スサノオノミコトを祭神とするようになる。

宝来の古い集落を抜けて「宝来」交差点まで戻り、11:33、近くの「あすかな」で昼食。炒飯と冷麺のセットを注文。

昼食後、近くの県立奈良病院前のバス乗り場に向かう。12:19、「県立奈良病院」発「尼ケ辻駅」行き奈良交通バスに乗車。始点から終点までバス停四つだけの短い路線だ。

尼ケ辻から近鉄橿原線で、畝傍御陵前を目指す。13:18、畝傍御陵前駅着。神武天皇陵参拝後、13:35、陵墓事務所にて安康天皇陵の御陵印を拝受。少し歩き足りない気がして、橿原森林遊苑を歩いていく。

14:37 近鉄橿原神宮前駅からあべの橋行き急行に乗車。

15:12 あべの橋駅着。

御陵参拝案内の該当ページ

現代語古事記
日本歴史旅行地図帳

允恭天皇惠我長野北陵

平成十七年六月八日

9:14 近鉄南大阪線あべの橋駅から、河内長野行き準急で出発。

9:30 土師ノ里着。改札を出た目の前を、国道170号線が走っている。この国道沿いに北方向へゆるやかな下り坂を進む。

9:42 允恭天皇陵前着。御陵の駐車場にダブルキャブのトラックが一台停まっている。不敵な無断駐車かと思い近づいて見ると、車体に小さく「宮内」と書いてあり、その下に一字分くらいの大きさのガムテープが貼ってある。テープの下には「庁」の字が隠されているに違いない。宮内庁のトラックだと判ると嫌がらせでも受けるのだろうか。

駐車場と参道入口で写真撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して進み入る。参道のすぐ外は民家の庭先になっており、犬にひどく吠えられる。

9:46 允恭天皇惠我長野北陵参拝。参道を戻っていく間も、犬はずっと吠え続けている。そんなに怪しいか?・・・怪しいか。。

外提部には雑草が生い繁り、生垣もそろそろ刈り込みが必要な様子。 と思っていると、西側の外提を、手押し草刈機を押して来る人影が見える。「宮内」トラックの主であろう。沢山ある大きな陵墓を、少ない人員で手入れしてまわる陵墓守りの方々も、さぞかし大変なことだと思う。参道入口で一礼して退下。
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御陵北側から、東側の道に出て南の後円部方向へ向かう。途中、陪冢らしき小さな禿げ山が見える。中ほどに「允恭天皇惠我長野北陵倍塚 宮内省」と刻まれた細長い石標がある。陪冢のすぐ隣には神社。10:10、その国府八幡神社に参拝。

御陵の南側、後円部の周濠に沿った道を行き、国道170号線に戻る。近辺の店舗などを見て回った後、仲姫命陵に向かう。

土師ノ里駅まで戻り、允恭御陵とは反対に170号線を南へ向かう。国道から住宅地に入って少し歩くと、木々が鬱蒼と繁る塚がある。荒れ果てた空き地に踏み込んで近づくと石標があり、「仲津山陵陪塚 宮内省」と読み取れる。

仲姫命陵拝所そばまで来ると、御陵と前方部同士向き合うような形で、前方後円形の塚、古室山がある。仲姫命陵は拝所ぎりぎりの際まで家屋が埋め尽くしているが、古室山の方は、史跡に指定されているからだろうか、塚の周りは広々とした空き地で占められている。

11:15 仲姫命陵拝所前着。敷地外から写真撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して石段を上る。
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11:22 應天皇皇后仲姫命仲津山陵参拝。一礼して退下。近鉄南大阪線の線路方向に向かう。

11:29 小室八幡神社参拝。同社本殿裏から、仲姫命陵の周濠に沿った道が始まっている。左手に近鉄電車の音を聞きながら、周濠に沿って御陵後円部方向へ向かい、後円部側から土師ノ里駅前に抜ける道があるのを確認。周濠に沿う道はさらに反対側へと周回して行き、ほぼ御陵を一周して、拝所近くに出られることが判る。ここで地図を出して検討すると、土師ノ里駅から仲津山陵南側の周濠沿いの道を経て、應天皇陵に至る巡拝ルートが設定可能であることが判った。

近鉄南大阪線沿線で、二つほど確かめたいことがあるので、もと来た周濠沿いの道を戻る。

近鉄南大阪線を利用する方で、神社などに多少なりとも関心のある方なら、藤井寺と土師ノ里の間に、線路によって境内が真っ二つに分断された、小さな神社があることにお気づきであろう。その澤田八幡神社は、仲津山陵が所在する高台の北側斜面に鎮座している。

12:01 澤田八幡神社参拝。小さな神社の境内の参道に、専用の警報機付き踏切りがある眺めは興味深い。それにしても、電車からは「線路によって境内が分断されている」と見えていたものが、境内からは「境内に線路や踏切りがある」という風に見える。

つぎに、戦前あった「應御陵前」という駅の跡地を探す。地図によってあらかじめあたりを付けたのは、應御陵正面入口から北に伸びた道が線路と交差する、現在の藤井寺市古室一丁目附近。現地を見ても、應御陵参拝の表玄関としての痕跡は何ら見出せないが、線路南側に近鉄の所有地らしきちょっとした土地があり、北側には道端の一角に花壇が設けられている。ここで間違いないと思う。

12:25 應天皇陵参拝後、古市陵墓監区事務所にて仁、履中、反正、允恭各天皇陵の御陵印を拝受。御陵の参道を、甲長30センチはあろうかという亀が歩いていた。嘉祥としておこう。

12:40 應御陵近くの「そば切り 蕎香(きょうか)」で昼食。そばがき、旬野菜料理四種、そば、甘味のセット料理を注文。料理を見る限りでは、ご主人は麺場だけでなく、板場の修業もした方のようだ。トマトの寄せ物や、空豆のずんだ和え、白瓜(だと思う)のお浸しなど、かなり手がかかっている。

食事後、土師ノ里から仲津山陵南側の周濠沿いの道を経て、應天皇陵に至る巡拝プランを踏査すべく、同ルートを逆に辿って土師ノ里駅まで戻る。

13:50 近鉄南大阪線土師ノ里駅からあべの橋行き準急に乗車。

14:06 あべの橋着。

御陵参拝案内の該当ページ

日本歴史旅行地図帳
宮内庁書陵部所蔵 古鏡集成
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