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貴志川線(日前國懸神宮~竈山神社~竈山墓~伊太祁曽神社)

平成十七年八月二十七日

9:11 JR天王寺駅から、「関空紀州路快速関西空港和歌山行き」で出発。八両編成の前五両が関空快速関西空港行き、後三両が紀州路快速和歌山行きで、日根野駅で切り離されて、以後それぞれの道を行くという列車。

10:17 紀州路快速和歌山行きで、和歌山着。南海貴志川線和歌山駅は同じ構内にあり、乗り換えるために駅の外に出る必要はなかったのだが、人の流れにつられて出てしまう。少しウロウロしたのち、JR和歌山駅の切符売り場で貴志川線の切符を買って改札を通り、南海貴志川線和歌山駅のホームにたどり着く。今日これから何度も見かけることになる「乗って残そう貴志川線」と題する、貴志川線存続運動の幟が立つ。謹んで乗せてもらいます。

貴志川線の乗り方についての解説ページがあるので、和歌山初心者は事前に頭に入れておくほうがいいだろう。同線は和歌山、伊太祁曽、貴志の三駅以外は全て無人駅である。また、「南海貴志川線和歌山駅」と「南海本線和歌山駅」は、歩いて行けないくらいの全く別の場所にあるので、混同しないように注意が必要である。

10:45 南海貴志川線和歌山駅から貴志行き下り電車発車。

10:48 日前宮駅着。日前國懸神宮まではすぐである。

駅名も神社の通称も日前宮(にちぜんぐう)だが、正式には日前國懸神宮(ひのくまくにかかすじんぐう)、もっと厳密には日前神宮(ひのくまじんぐう)と國懸神宮(くにかかすじんぐう)は、同じ境内地に並び建ってはいるが別の神社である。社号標も「官幣大社日前神宮 官幣大社國懸神宮」となっており、戦前はそれぞれが官幣大社に列していた。社号標の「官幣大社」の文字にはセメントがすり込まれているのだが、国の制度としての社格は確かに戦後廃止されたが、例えば「正一位稲荷大明神」といった神階は今でも慣例として名乗られているのだから、歴史に基づく私称として旧社格を名乗ることに問題があるとは思えないのだが。

日前神宮は御祭神日前大神、相殿に思兼命と石凝姥命、國懸神宮は御祭神國懸大神、相殿に玉祖命と明立天御影命と鈿女命をお祀りしている。いただいた由緒略記を要約すると、天照大神が天の岩窟に幽居ましし時、諸神が思兼命の議に従い諸々の幣帛を奉るとともに、石凝姥命は天香山の銅を採って大御神の御像を鋳造し奉った。これが伊勢大神宮奉祀の八咫鏡、日前神宮奉祀の日像鏡、國懸神宮奉祀の日矛鏡であり、天孫降臨の折に紀伊国造の祖、天道根命に日像鏡日矛鏡を授け給うた。すなわち、日前大神國懸大神は、天照陽乃大神の前霊(さきみたま)に座しまして稜威は名状すべからざるものである。

10:55 日前國懸神宮境内参進。
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一礼して鳥居をくぐると、社務所前を経て参道は二手に分かれる。右手へ行けば國懸神宮、左手は日前神宮である。旧紀伊国を代表する大社であるが、現在の境内地は思ったほど広くはない。しかし、朽ち果てた末社群に迎えられながら古色蒼然たる暗い木立の中を歩いていくと、ここが都会の只中であるとはとても思えず、人里離れた樹海の奥に彷徨いこんだかのような錯覚を覚える。

11:04 國懸神宮社頭参拝。

11:10 日前神宮社頭参拝。

初めての参詣なので、参拝の証しに御朱印を頂くことにする。11:17、授与所にて日前國懸神宮御朱印拝受。

11:25 日前宮近くの「ラーメン一番」で昼食。「ラーメンとチャーライセット」を注文。チャーライとは、「チャーシューライス」のことだそうだが、まあ炒飯だ。この店は、180円(税込み189円)の「びっくりラーメン」を前面に押し出している。私の注文したセットについているラーメンが、多分その「びっくりラーメン」と同じものだが、昔の「中華そば」風である。

11:49 日前宮駅から貴志川線下り電車発車。

11:53 竈山駅着。ホームの柵のすぐ外に「竈山神社 彦五瀬命竈山御墓 從是南四町余」という石標がある。「竈山神社」の文字の上、「官幣大社」と彫られていたはずの部分はセメントで無惨に塗り固められている。

駅から少し歩くと和田川にかかる橋に出る。橋を渡ったところには大きな鳥居があり、橋の手前にまた石標。碑文は駅にあったものとほぼ同様で、距離だけが「三町余」になっている。「官幣大社」部分がセメント漬けになっているのも同じ。よく見ると、ただ文字をセメントで覆ったのではなく、文字を削ってからその穴を埋めたようである。マッカーサーの神道指令の苛烈さというよりは、新たな支配者に先を争って迎合した市井の人々の熱狂を感じる。路傍の石仏の首まで刎ねた明治初年の廃仏毀釈の暴走が、昭和の“国家神道”排斥で繰り返されたのであろう。

狭くて交通量が多い道路をしばらく行くと、道沿いに濠を挟んで彦五瀬命竈山墓が見えるが、敷地外から写真数枚撮影後、先に神社に参拝するため一旦通り過ぎる。竈山御墓から竈山神社東側の道を経て南側に廻りこむと、駐車場の奥に立派な鳥居と社号標が現れる。

由緒書によると、竈山神社の御祭神は彦五瀬命。神武天皇の長兄であり、御東征の途上戦傷を負われて雄水門の地で薨じられ、竈山に奉葬されたものである。

12:13 竈山神社境内参進。
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一礼して鳥居をくぐり、まっすぐに参道を行く。境内の雰囲気が何となく湊川神社に似ている。狛犬も靖國神社型だった。竈山神社自体は延喜式神名帳所載の古社であるが、昭和十三年に現在の御社殿の造営と境内の拡張を行っている。

12:30 竈山神社社頭参拝。

初めての参詣なので、参拝の証しに御朱印を頂くことにするが、ちょうど神職の方が御祈祷の御奉仕中だったので、竈山墓参拝に向かう。

12:44 あらためて彦五瀬命竈山御墓前着。汗を拭い、服装を整え、一礼して濠にかかる小さな橋を渡る。
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12:46 武天皇皇兄彦五命竈山墓参拝。小山の麓に一般拝所があり、急な石段の上に鳥居と二重の玉垣があるのがかすかに望める。そのすぐ左手には竈山神社本殿も見えている。同じ小山の高根を、南斜面麓の竈山神社拝殿からと、東斜面麓の竈山御墓拝所からそれぞれ拝したことになる。一礼して退下。

13:00 境内に戻り、授与所にて竈山神社御朱印拝受。

神職の方にいただいた由緒書に、本居宣長翁参詣の砌に詠める歌として、

  をたけびの かみよのみこゑ おもほへて あらしはげしき かまやまのまつ

とある。ここは英雄神話の聖地である。

13:23 竈山駅から貴志川線下り電車発車。

13:32 伊太祁曽駅着。駅名および地名は「いきそ」、社号は「いきそ」らしい。駅から少し歩くと一の鳥居があり、その先右手に二の鳥居がある。

由緒書によると、御祭神は五十猛命、左脇殿に大屋津比売命、右脇殿に都麻津比売命。当社は木の神、いのち神、浮宝(船)の神である。素盞嗚尊の御子神である五十猛命は、天降りに際して多くの樹木の種子を持って来られ、日本全土に播種された。また、大屋毘古神(五十猛命の別称)は、大国主神が八十神に命を狙われた折にそれを救ったことから、厄除け祈願、いのち神として尊崇を集め、さらに、船(浮宝)を造るのに木材が必要不可欠であることから、船の神、ひいては航海安全、大漁祈願の神ともなったとのことである。

13:48 伊太祁曽神社境内参進。
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一礼して二の鳥居をくぐると、朱塗りの太鼓橋がある。その先、授与所前を経て石段を上ったところが拝殿である。二の鳥居から御本殿までの境内地は、小山の麓近くの狭い斜面に無理に詰め込んだような印象である。背後に広がる山全体が信仰の地であり、御本殿までの境内地はその「拝所」的なものではないかと思う。

13:54 伊太祁曽神社社頭参拝。

御神木の一部を利用した「木の俣くぐり」なるものが置いてある。大屋毘古神が、木の俣を使って大国主神を助けた神話にちなみ、この木の穴をくぐることにより災難除けを祈るという趣向である。くぐってみる。また境内には、首から上の病に霊験あらたかなりという霊石「お猿石」、「いのちの水」が湧き出る井戸といったものもある。

初めての参詣なので、参拝の証しに御朱印を頂くことにする。14:05、授与所にて伊太祁曽神社御朱印拝受。

二の鳥居向かいの低い丘に登ると、草生した塚がある。奈良朝初期のものとされ、神社御鎮座の年代とほぼ合致するという。その横穴式石室を持つ塚を見てから駅に戻る。

15:03 伊太祁曽駅から和歌山行き貴志川線上り電車発車。

15:22 和歌山駅着。JR阪和線ホームに移動。

15:24 JR阪和線天王寺行き快速発車。

16:28 天王寺着。貴志川線和歌山駅の改札でもらった切符大の「精算済証」を渡し、和歌山から天王寺までのJR運賃を支払って改札を出る。

附記:廃線の危機にあった南海電鉄貴志川線は、わかやま電鉄貴志川線として存続することになり、「三社まいり」の足は当面守られた。(下写真:伊太祁曽にて)
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よくわかる 日本の神社
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テーマ : 神社めぐり
ジャンル : 旅行

飛鳥(亀石~石舞台~伝飛鳥板蓋宮跡~酒船石~伝蘇我入鹿首塚~飛鳥坐神社~大伴夫人御墓)

平成十七年八月十八日(つづき)

12:12 亀石前着。猿石などにも同様なことが言えるが、見ようによってはユーモラス、見ようによっては不気味な造形である。この石はいま西南の方角を向いているのだが、もし西向きになれば、全飛鳥が海中に没するという伝説があるらしい。
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さらに東進したのち、県道155号線に合流し、石舞台を目指す。石舞台手前の上り坂は、自転車では結構きつい。

12:35 石舞台前着。拝観料(実際にそう書いてある)250円を払って(納めて、か)敷地に入る。
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13:00 「あすか野」で昼食。「あすか定食」を注文。内容は、あまごそば(またはうどん)と御飯。あと、小っちゃな埴輪風の土人形がおみやげとして付いている。「あすか野」自体は、食堂とおみやげ店、貸し自転車、ソフトクリーム店などの観光複合店舗である。

13:35 伝飛鳥板蓋宮跡着。かつて権勢を追い求める者たちの血と精を存分に吸い込んだ土地に、夏草が旺盛に萌え盛っている。視線の先の方には、森が壁のように長々と連なる甘樫丘が見える。低い丘陵だが、最高地点の海抜は大和三山のひとつ耳成山より高い。
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通りかかった年配の方が、「何か質問ある?歴史のことなら何でも答えられるよ」と話しかけてこられた。歴史はともかく、地元ならではの伝承や噂話など聞ければよかったのだが、時間の都合があるため、礼を言って次に向かうことにする。

13:50 酒船石前着。小高い丘の竹薮の中にある。何に使ったんでしょうねえ。
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14:00 伝蘇我入鹿首塚前着。昔来た時は、田んぼの畦道にポツンと五輪塔だけがあった気がするが、周囲はきれいに整備されている。
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14:08 飛鳥坐神社参拝。面白い形の石とか、天狗とお多福の祭りで有名な神社ですね。それは措いても、雰囲気の良い神社である。もっとゆっくりこの森厳とした空気に浸っていたいが、時間の都合であわただしく立ち去らねばならないのが残念である。
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飛鳥坐神社から大伴夫人御墓まで長い上り勾配がつづき、競輪選手ばりにモガく。

14:20 大伴夫人御墓前着。日本の歴史を「生んだ」とも言える、藤原鎌足公御母の御墓であるが、入鹿首塚のように整備はされていない。
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当初は、このあと甘樫丘に登ってから畝傍監区事務所で欽明御陵の印をいただき、橿原神宮前駅から帰投する予定だったが、甘樫丘に登る時間的余裕はなさそうだ。他日を期することにしよう。

八釣川から伝飛鳥浄御原宮跡の方へ快適に自転車を走らせていると、ついにポタポタと雨の雫が落ちてきた。マズい。ここ数日、午後になると日課のように雷雨が襲って来たことが頭をよぎる。だが、今はまだ小雨である。そのまま橿原神宮前駅方向へ走る。

14:33 雷丘前通過。ゆっくり眺めるいとまはない。雷神が降臨する丘だとのことだが、今は降臨しなくていい。

14:40 集中豪雨となる。まもなく橿原神宮前駅のタクシー乗り場に滑り込み、雨宿りする。自転車を借りた「近鉄サンフラワーレンタサイクル」が目の前に見えている。

飛鳥駅ではなく橿原神宮前駅で自転車を借りたのは、飛鳥北半を廻ったのち、帰る前に畝傍監区事務所へ立ち寄るのに便利だと思ったからだが、最早その企図は破綻した。ちょうど駅に辿り着けたことをこそ僥倖と考え、他日を期することにしよう。自転車を返却する。

15:03 橿原神宮前駅からあべの橋行き急行に乗車。

15:42 あべの橋着。

極・飛鳥
謎の豪族 蘇我氏
現代語古事記

テーマ : 京都・奈良
ジャンル : 旅行

欽明天皇檜隈坂合陵

平成十七年八月十八日

8:54 近鉄南大阪線あべの橋駅から、橿原神宮前行き準急で出発。

9:50 橿原神宮前着。東口を出てすぐ隣にある、「近鉄サンフラワーレンタサイクル」で自転車を借りる。一日(17時まで)借りて900円(平日)。国道169号線をしばらく南下すると、草に覆われた台地のカドが、国道によって削られている部分に達する。

平たい丘の一方の端に、こんもりと丸く繁った森がある。草に覆われた丘陵全体が、前方後円形の塚としては奈良県最大、全国でも六番目の大きさの丸山(見瀬丸山)であり、こんもりとした木立は、その後円部の頂上部にあたる畝傍陵墓参考地である。横道に入り、前方部の正面側にまわる。

10:10 丸山前方部正面着。自転車を降り、小さな木の道標に促されて、蜘蛛の巣をかき分けながら細い坂道を登る。台地の上に立つと、先の方に畝傍陵墓参考地の森が見え、草原に覆いつくされた前方部の中央を貫く、一筋の踏み分け道が森まで通じているのがわずかに確認できる。
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軽い躊躇を覚えたものの、木立を目指して踏み分け道を進む。最初膝丈だった草はすぐに腰の高さとなり、顔近くまで達するようになる。からみつく草を手で薙ぎ払いながら進んで来たが、今自分は陵墓参考地に「正しい」ルートでアクセスしているのだろうか?という疑問が湧き上がる。身の丈に及ぶ草をかき分けて進まねばならないこのルートは、例えば観光客などには難易度が高すぎるのではないか?自分はいつのまにか立ち入り禁止地域に迷い込んでしまったのではないか?と心配し、引き返すことにする(実際はただ草刈りがされていなかっただけで、このルートで正しかったようである)。

丸山の東側から南の後円部側に回りこみ、畝傍陵墓参考地の直下に達する。急斜面にかすかに見える径を強行登攀する。

10:23 畝傍陵墓参考地制札・鉄扉前着。ホームベース形の制札は文字が消えかけているが、すぐ近くに橿原市教育委員会の建てた案内板もある。航空写真や玄室内の写真まで掲載された、わかりやすい案内板である。航空写真で見ると、周濠部の西半と前方部の一部が既に失われていることがよくわかる。

国道169号線に戻って再び南下する。近鉄岡寺駅前を過ぎ、さらに欽明天皇陵近くも一旦通り過ぎて、近鉄飛鳥駅前に至る。駅北側の踏切りを越えると、ほどなく岩屋山の麓に出る。

10:42 岩屋山着。もともと方形の塚だったらしいが、西側が大きく削り取られ石室の一部が剥き出しになっている。
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10:56 飛鳥駅まで戻り、周辺で写真撮影。

国道169号線東側の小さな古い集落を抜け、欽明天皇陵に向かう。欽明天皇陵には、国道の東に並行する旧街道から石段の参道を経て近づくルートもあり、そちらが本来の表参道にあたるようだが、現在は「猿石」人気のため、吉備姫王御墓への参道がある御陵拝所南側から訪れる人が多いようだ。私が訪れたのもそちら側である。

11:20 欽明天皇陵、吉備姫王墓前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、汗を拭い、服装を整え、一礼して駐車場奥の欽明天皇陵拝所へ入る。
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11:40 欽明天皇檜隈坂合陵参拝。一礼して退下。つづいて、吉備姫王御墓の方へ行き、一礼して参道へ入る。

11:48 敏達天皇皇孫茅渟王妃吉備姫王檜隈墓参拝。石玉垣の内側に有名な「猿石」が四体安置されていて、玉垣の前に不躾に座り込んで写真を撮っている人物がいる。この「猿石」は、もともと欽明天皇陵の周濠の外提に並べられていたものと考えられていて、江戸期に附近で出土した五体のうち、四体が吉備姫王御墓に、もう一体が高取城址に安置されたものである。もと来た参道を戻り、一礼して退下。
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欽明御陵南のゆるやかな登り勾配の道を東進し、「鬼の雪隠」「鬼の俎」に向かう。途中、欽明天皇檜隈坂合陵陪冢「金塚」を見る。

11:59 欽明天皇檜隈坂合陵飛地「鬼の雪隠」前着。次いで「鬼の俎」へ。この二つは本来、ひとつの塚の石槨を構成していたもので、底石が「俎」、そこから横転してきた状態の蓋石が「雪隠」である。伝説によると、このあたりは霧ケ峰と呼ばれ、鬼が通行人に霧を降らせて迷ったところを捕らえて俎の上で料理し、雪隠で用を足したのだという。

のち、さらに東進する。

『御陵参拝案内』の該当ページ

極・飛鳥
宮内庁書陵部所蔵 古鏡集成

テーマ : 京都・奈良
ジャンル : 旅行

畝傍山(御陰井~畝火山口神社~畝傍山頂~神八井耳命墓伝説地~スイセン塚)

平成十七年八月八日(つづき)

橿原神宮西口駅の地下を潜って懿徳天皇陵に至る。拝所の方へは行かず、東側から御陵の裏手へまわる。御陵の真裏、畝傍山の山裾部に公園風に整備された正体不明の地所がある。なぜこんなところに?碑や看板等の手がかりは何もない。

12:32 御陰井着。安寧天皇畝傍山西南御陰井上陵の由来となったとされる井戸であり、宮内庁の管理地である。安寧天皇陵のすぐ南、御陵の駐車場前から坂を下った集落の中にある。
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12:52 畝火山口神社(おむねやまじんじゃ)参拝。戦前までは畝傍山頂に鎮座していた神社。現在は畝傍西麓にあり、鳥居脇に畝傍山への登山口がある。
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12:58 畝火山口神社鳥居脇登山口発。

13:11 畝傍山頂着。

山頂には石と丸太で囲われ、「殿跡」という小さな標石がある場所がある。畝火山口神社社殿の遺構だろう。
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また山頂には、大阪・住吉大社の埴使(はにつかい)神事で、埴土(はにつち)を採取する聖地があり、石垣の上に石玉垣で厳重に閉ざされている。以下に住吉大社ホームページから埴使神事の説明部分を引用する。

祈年祭と新嘗祭に付随した主要な行事です。祈年祭・新嘗祭の前に、奈良県にある畝傍山の埴土を採ってくる神事です。とても大切な神事のため、神職は雲名梯神社、畝火山口神社にて祭典を行い、山に登ります。山頂の秘地にて口に榊の葉を含んで、埴土を三握半、採取し、埴筥 (はにばこ) に収めて持ち帰ります。埴土はお供えを入れる祭器を作るのに使われます。一般の人が見ることはできませんが、住吉大社でのみ、現在も伝承されている儀式です。

13:30 下山開始。登って来たのと反対側、橿原森林遊苑内の戦没者慰霊公苑である「若桜友苑」の方へ下る。

13:48 若桜友苑着。こちら側の登山口はこの若桜友苑の最奥部にあたる。

畝傍山頂を目指すルートは主に西の畝火山口神社側からと、東南の若桜友苑側からの二種類があるわけだが、登りやすいのも降りやすいのも畝火山口神社側だと思う。

14:20 神武天皇陵参拝後、畝傍陵墓監区事務所にて宣化天皇陵の御陵印を拝受。

神武御陵参道途中から西へ抜ける径を行き、山本町のうら寂しい集落の南、畝傍山北麓の山裾に少し分け入ると、忘れ去られたような小さな神社がある。神武天皇の皇子で、弟の神淳名川耳命(綏靖天皇)に皇位を譲ったとされる、神八井耳命の御墓の伝承地である。現在は八幡神社であるが、往古は八井神社と呼ばれたという。
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14:35 八幡神社(武天皇皇子八井耳命畝傍山北墓伝説地)参拝。

八幡神社から山本町の集落に戻り、畝傍山の北西麓にあたるスイセン塚に向かう。

14:52 スイセン塚着。慈明寺という寺(畝傍山は江戸期には慈明寺山と呼ばれていた)の門近くに教育委員会の説明板がある。「古来スイセン塚という名称によって、綏靖天皇陵として考えられた伝承をもっているが、現在では単なる言い伝え程度のものである」と断じている。
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畝傍山の西側、安寧天皇陵前を通って帰路につく。(下写真は西北から望む畝傍山)
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15:23 近鉄南大阪線橿原神宮西口駅から古市行き普通電車に乗車。尺土であべの橋行き急行に乗り換え。

16:12 あべの橋着。駅で「衆院解散へ」という大見出しの号外を受け取る。こののち昼食をとる。

現代語古事記
大和三山の古代
よくわかる 日本の神社

テーマ : 歴史散歩
ジャンル : 旅行

宣化天皇身狹桃花鳥坂上陵

平成十七年八月八日

9:24 近鉄南大阪線あべの橋駅から、橿原神宮前行き準急で出発。

10:21 橿原神宮前着。橿原神宮・神武天皇陵方面は中央口、飛鳥・孝元天皇陵方面は東口であるが、宣化天皇陵方面へは西口を出る。

10:40 駅西口のバス乗り場から、奈良交通バス「近鉄御所駅」行きに乗車。このバス乗り場から発着するいくつかの系統のバスのうち、 宣化天皇陵最寄りの「鳥屋」方面に向かうのは「近鉄御所駅」行きのみであり、その昼間帯の本数は一時間一本である。バスの時間に合わなければ、歩いても大した距離ではない。

10:45 「鳥屋」バス停で降車。すぐに、のどかな田園風景のむこうに宣化天皇陵のこんもりした木々が見えてくる。

10:49 宣化天皇陵前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、汗を拭い、服装を整え、一礼して参道へ入る。 後を振り返れば畝傍山がよく見える。

10:53 宣化天皇竝宣化天皇皇后橘仲姫皇女身狹桃花鳥坂上陵参拝。一礼して退下。
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宣化御陵の周濠と一体化している鳥屋池の堤に出てみると、個人名で建立された忠魂碑や、皇紀二千六百年の記念碑などがある。池に目をやると水中に石標が突き立っており、水面上に出た部分には「宣化天皇身狹桃・・(以下水面下)」と碑文が読める。御陵の周濠と鳥屋池との水上の境界を示す標柱だろうか。

宣化御陵の南側、鳥屋町の古い集落をはずれまで歩くと、倭彦命墓が見えてくる。

11:13 倭彦命墓前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、汗を拭い、服装を整え、一礼して一般拝所へ入る。
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11:20 崇天皇皇子倭彦命身狹桃花鳥坂墓参拝。一礼して退下。御墓に隣接する新池の畔を、前方後円風に成形された兆域に沿って少し歩くと、他の宮内庁治定陵墓では見られないであろう状況を目の当たりにする。昔は大市墓もこんな状況だったと聞いたことがあるが・・。

橿原神宮西口駅(橿原神宮前駅西口ではなく)まで歩く。

『御陵参拝案内』の該当ページ

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宮内庁書陵部所蔵 古鏡集成

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安閑天皇古市高屋丘陵

平成十七年八月三日

9:14 近鉄南大阪線あべの橋駅から、河内長野行き準急で出発。

9:35 古市着。

駅のすぐ東側に隣接する白鳥神社を訪れる。

およそ古市で「祭り」といえば、この神社のだんじり祭りのことである。わたしは「北」のだんじりに乗っていた。
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9:45 白鳥神社参拝。昔、境内で遊ばせていただいたこと、だんじりに乗せていただいたことのお礼も兼ねて。

割拝殿の中には「楠勢渡邉橋畔に敵の傷病兵を救ふ」と題した絵が掲げられている。子供の頃、この絵に描かれたのは、楠木正成という偉い人であると聞いた。で、わたしが初めて覚えた歴史上の人物の名は、「豊臣秀吉」でも「徳川家康」でもなく「楠木正成」であった。

しかし今だからわかるが、渡邉橋で敵兵の難儀を救ったのは正成公ではなく、子の正行公である。戦で大敗した足利勢が、先を争って渡邉橋を渡ろうとして川に落ち溺れていたところを救った正行公は、その傷を手当し、衣服を与えて京都に送り返してやったのだという。大阪・天満橋の京阪シティモール(旧松坂屋)裏の大川畔に「小楠公義戦の地」碑があるのがその故地である(現在同碑は、京阪中之島新線工事現場の囲い内にあるため、見ることはできない)。

つまり、絵にいう「楠勢」は楠木正成公ではなく、子の正行公の軍勢のことだったのであるが、ともかく南河内地方では今なお楠公さんに対する敬愛の念は篤い。

神社の本殿の裏にまわると古市駅を真下に見下ろす格好になっていて、子供の頃はよくここから駅の様子を飽かずに眺めたものだが、今日は蜘蛛の巣に阻まれて退散する。

古市駅前を通る「竹内街道」を東進し、「東高野街道」と交わる十字路に達する。レトロな羽曳野市商工会館があるその角を南へ曲がり、「東高野街道」を進む。ほどなく、近鉄南大阪線の踏切りに至るが、踏切りを渡ったところから始まる小高い土盛りは、安閑御陵が畠山氏の「高屋城」本丸とされていた時代の外郭の名残だという。その外郭址への径を登り、由緒不明の小祠などがある一角から小さな住宅街を抜けると、安閑御陵横に出ることができる。

10:15 安閑天皇陵前着。駐車場に車が駐まっており、宮内庁職員らしき方数人が、兆域内を奥の方へ歩いて行くのが見える。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、汗を拭い、服装を整え、一礼して敷地内へ入る。
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江戸期に当御陵で土砂崩れがあった時、ペルシャから伝来したと思しきガラス碗が出土し、現在東京国立博物館に所蔵され重要文化財に指定されている。

10:35 安閑天皇古市高屋丘陵竝繼體天皇皇女前皇女墓参拝。一礼して退下。つづいて、少し南にある安閑天皇の皇后、春日山田皇女の御陵へ向かう。

10:48 春日山田皇女陵前着。まわりを住宅地に完全に囲繞された小さな御陵である。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、汗を拭い、服装を整え、一礼して敷地内へ入る。
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一般拝所のど真ん中に犬の糞。わざとやってるだろ。高級住宅が立ち並ぶ地区のことではあるが、立派な家に住んでいるからといって、必ずしも民度が高いとは限らないようだ。一部の恥さらしの仕業でしょうけどね。

10:54 安閑天皇皇后春日山田皇女古市高屋陵参拝。一礼して退下。さらに南下し、安閑天皇を御祭神とする高屋神社を目指す。

11:08 高屋神社参拝。もとは物部系の高屋氏の氏神で、御祭神は物部祖神の饒速日命と廣國押武金日命(安閑天皇)。狭い境内の片隅に「高屋神社址」という石標が残っている。当社は白鳥神社に合祀されていたものが戦後再興されたものである。

11:45 古市駅前の「○○○亭」にて昼食。常連客以外は歓迎されない店のようだ。

古市駅前から応神天皇陵方面へ北上する。途中応神御陵の陪冢、「惠我藻伏崗陵陪塚馬塚」「惠我藻伏崗陵陪塚向墓」の前を通る(「」内表記は宮内庁の石標による)。向墓(向墓山)は、先日訪れた墓山の後円部外提と接している。墓山の周濠は前方部側では単なる湿地になっていたが、こちら側は緑色に濁った水を満々と湛えている。

12:56 應天皇陵参拝後、古市陵墓監区事務所にて安閑天皇陵の御陵印を拝受。

13:30 近鉄南大阪線土師ノ里駅からあべの橋行き準急に乗車。

13:46 あべの橋着。

『御陵参拝案内』の該当ページ

日本歴史旅行地図帳
宮内庁書陵部所蔵 古鏡集成

テーマ : 歴史散歩
ジャンル : 旅行

高槻(西国街道~今城塚~素盞鳴尊神社~阿久刀神社~芥川~上宮天満宮)

平成十七年七月二十九日(つづき)

継体天皇陵から西国街道を東へしばらく歩き、高槻市に入る。さらに少し歩いたあと、街道を離れて北上する。

11:27 今城塚着。史跡としてきれいに整備されてきており、一部は今も工事中である。

以前は周濠部の水の無い部分は畑として利用されていたが、既に畑は撤去されている。水のある部分は昔は子供の遊び場だったが、その頃より深い池になっているようで、今となっては子供が遊ぶには危険である。今は数人の大人が釣り糸を垂れている。
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塚丘部は以前はもっと鬱蒼とした雑木林で、敢えて立ち入る人もあまり無かったが、今はまばらな林で、散歩がてら入り込むことも困難ではない。

東へ向かうと、郡家新町の住宅地の東側、田植えを終えて間もない青々とした田園の只中に、ぽつねんと小さな鎮守の杜がある。
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12:20 素盞鳴尊神社参拝。

教育委員会の案内板によると、当社は古く「神郡社(かみごおりのやしろ)」と称し、奈良時代の「芥川廃寺」址であると考えられ、手水鉢はその塔心礎だという。

さらに東の清福寺町に入る。

12:38 阿久刀神社参拝。
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神社のすぐ裏は芥川右岸の堤である。この堤を南下して西国街道に戻る。
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西国街道を東進し、芥川商店街に入る。

13:05 芥川商店街の「魚菜処 美舟」にて昼食。「美舟弁当」を注文。古い駅前商店街の店だからといって侮れない。

JR高槻駅から北へ向かった小山に鎮座する、上宮天満宮に向かう。
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およそ高槻で「祭り」といえば、「たかつきまつり」などではなく天神祭りのことである。

昔、天神さんの祭りには見世物小屋が出ていて、「たこ女」だの「かに男」だののオドロオドロしい極彩色の絵看板や、不気味なダミ声の穏当ならざる口上に心騒がせたものである。入ったことないけど。

13:40 上宮天満宮参拝。本殿は全て「竹」で建替えられている。思いつきで奇を衒うようなことは感心しない。伝統を継ぐ立場にある人は、祖先と子孫の双方に責任を負うということを自覚してもらわないと・・。

14:02(定時14:00から若干遅れ) JR高槻駅から、野洲行き東海道本線新快速にて出発。

14:15 京都着。乗り換えのため、近鉄京都駅に移動。

14:26 近鉄京都駅から、天理行き急行発。

14:36 桃山御陵前駅着。

15:10 明治天皇陵・昭憲皇太后陵参拝後、宮内庁書陵部桃山陵墓監区事務所にて継体天皇陵御陵印を拝受。桃山事務所は初めてなので、御陵印を仕舞ってある場所が分からなかったが、職員の方が丁寧に説明して下さった。明治天皇陵では、例祭(翌七月三十日)の準備もしくは前日祭のようなことが行われていた。

以前の記事で「宮内●」(●部はガムテープが貼られている)と書かれたトラックについて、ガムテープの下には「庁」の字が隠されているのだろうと述べたが、明治天皇陵参道で水撒きをしていたトラックは「宮内」とだけ書かれていてその他には文字もガムテープも何も無かった。

15:34 京阪電車伏見桃山駅から、淀屋橋行き準急に乗車。

16:25 天満橋着。

継体天皇の時代―徹底討論今城塚古墳
宮内庁書陵部陵墓地形図集成

テーマ : 歴史散歩
ジャンル : 旅行

繼體天皇三嶋藍野陵

平成十七年七月二十九日

9:02 阪急梅田駅から、河原町行き京都線快速急行で出発。

9:20 茨木市駅着。駅北側のバスターミナルから、近鉄バス「花園東和苑」行きに乗車。

9:57 「太田」バス停着。東芝の工場の角を曲がり、「西国街道」に入る。

10:12 太田神社参拝。住宅地のはずれにある無人の神社だが、入って行くと境内地は意外に広く、丈の高い木々が文字通り林立している。

10:17 継体天皇陵前着。駐車場に京都ナンバーのステージアが駐まっているのは、桃山の事務所から来たのだろう。駐車場前から写真数枚撮影後、カメラを片付け、汗を拭い、服装を整え、一礼して参道へ入る。拝所までのアプローチは、規模は違うものの、応神天皇陵に似た雰囲気である。 御陵の詰所は宮内庁三嶋部の事務所でもある。
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10:24 繼體天皇三嶋藍野陵参拝。まわりを住宅地に囲まれた環境であるが、雄大な御陵の清浄と静穏は保持されている。周濠もきれいである。濠の外側に幅の狭い堤部があるので、濠に直接ゴミが投げ込まれることが少ないのだろう。一礼して退出。

御陵の東側、藍野病院との間の道を何枚か写真を撮影しつつ北上する。途中、継体天皇陵の陪冢を二箇所見かける。ひとつは、小さな公園の中央にドーンとほぼ円形の塚。もうひとつは、道の真ん中に流線型に削られた小高い楕円の一角があり、その頂上部の一部がいびつな形で柵に囲まれている。これが塚なのか?と思うが「継体天皇陵陪冢 宮内庁」という標柱が柵内に建っている。

西国街道に戻り東へ向かう。

『御陵参拝案内』の該当ページ

日本書紀 全現代語訳
継体天皇二つの陵墓、四つの王宮

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