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『御陵参拝案内』更新

『御陵参拝案内』繼體天皇陵/安閑天皇陵/宣化天皇陵を追加しました。
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テーマ : 神社仏閣
ジャンル : 学問・文化・芸術

河内(大塚陵墓参考地~津堂八幡神社~藤井寺陵墓参考地)

平成十七年九月二十六日

9:04 近鉄南大阪線あべの橋駅から、長野行き準急で出発。

9:15 河内松原で藤井寺行き普通電車に乗り換え。

9:16 恵我ノ荘着。西へ向かう。大塚陵墓参考地は東半分が羽曳野市、西半分が松原市にあたる。

9:25 大塚陵墓参考地前着。全国五番目の大きさの前方後円形の塚である。周濠の東北隅は事実上釣り場のようになっていて(立入り禁止にはなっていない)、数人の釣り人が浮きを見つめている。
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周濠の東畔を後円部の方へ南下すると、濠の南端附近でルアーフィッシングをしている人がいて、70センチ位はあろうかというナマズを釣り上げるところを目撃。

9:49 大塚陵墓参考地制札附近着。後円部南東隅にあたり、柵と黒い鉄扉の内側に、石標と制札が縦一列に並ぶ。石標は正面に「大塚陵墓參考地 宮内省」、向かって左側面に「猥ニ入ルヘカラス」と読める。その先だいぶ奥の方に、瓦葺の小屋が木立の間にかすかに見える。

鉄扉前にはわたしが来る前から作業員風の二人が居たのだが、しばらくすると、ヘルメットの“宮”の字マークも鮮やかに、宮内庁職員の方がスーパーカブで到着。二人の作業員(民間業者の人だろう)とともに鉄扉内に入って行った。

この塚は後世砦に利用されたり、陵墓参考地指定までは村落があったりしたこともあって形が多少崩れており、後円部南側の濠は無くなっている。明治後期まで後円部頂上に大塚社天満宮があり、現在は高鷲の大津神社に合祀されていることは雄略天皇の項で触れた。

西側から北側へ周濠沿いを歩き、恵我ノ荘駅を目指す。周濠西北隅には、道沿いに鉄扉・石柵・石標が揃っている箇所があり、その内側は塚丘に向けて細く地続きになっている。石標正面と側面の銘は上記制札前にあったものと同じで、裏には「昭和七年十月」とある。

10:26 恵我ノ荘駅から、藤井寺行き普通電車に乗車。

10:30 藤井寺着。北口のバスターミナルに出る。

10:42 近鉄バス70系統「近鉄八尾駅前」行きで出発。

10:47 四つめのバス停「小山」で下車。降りた目の前が前方後円形の塚、津堂城山である。バス道沿いの旧周濠部は、花菖蒲園やコスモス園に整備されている。後円部頂上の一部のみが藤井寺陵墓参考地になっていて、その前に津堂八幡神社がある。(下写真、藤井寺陵墓参考地。左端が津堂八幡神社、右手が前方部方向)
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10:58 津堂八幡神社参拝。神社で拝礼すると塚丘にも拝礼する格好になっているのは、いつもの通り。
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11:06 藤井寺陵墓参考地制札附近着。津堂八幡神社社殿の背後に隠れるかのような立地で、知らない人には塚丘が柵で囲まれている理由がわからないだろう。石の門柱の内側に制札と石標が並んでいるが、その場所へは神社境内から社殿の裏を通らないと行けないようになっていて、そして境内から社殿の裏へは柵によって立ち入りが禁じられている。少し離れた所から拝見する。

石標は正面が「藤井寺陵墓參考地 宮内省」、向かって左側面は「猥ニ立入ル亊ヲ禁ス」だろうか。

制札は最近新調したようである。現地では気付かず、あとで画像をチェックしていて分かったことだが、「一、みだりに域内に立ち入らぬこと」の「内」が「内」になっている。関係者の方、もし御覧になっていたら善処されるようお願いします。(下のサムネイルをクリックすると大きな写真を別ウィンドウで開きます)
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11:34 「小山」バス停から「藤井寺駅前」行き近鉄バス乗車。

11:43 「藤井寺駅前」着。

11:57 藤井寺駅から、長野行き準急に乗車。

12:00 土師ノ里着。

12:20 応神天皇陵参拝後、古市陵墓監区事務所にて敏達天皇陵・用明天皇陵の御陵印を拝受。

12:50 土師ノ里駅から、あべの橋行き準急に乗車。

13:12 あべの橋着。

宮内庁書陵部陵墓地形図集成
宮内庁書陵部所蔵 古鏡集成

テーマ : 神社仏閣
ジャンル : 学問・文化・芸術

和泉(宇度墓~西陵~百舌鳥陵墓参考地~百舌鳥八幡宮~東百舌鳥陵墓参考地)

平成十七年九月二十四日

9:02 南海本線難波駅から、和歌山市行き急行で出発。

9:45 尾崎駅でみさき公園行き普通電車に乗り換え。

9:55 淡輪着。降りた駅ホームのすぐ東隣に宇度墓がその偉容を見せているが、駅の出入り口は西側にしかないので、駅前の集落を抜けて南側の踏切を越える。踏切の先、周濠畔の道沿いに宇度墓拝所がある。

10:07 宇度墓前着。豊かに水をたたえた周濠には、睡蓮の花がちらほら見える。拝所は、前の狭い道から周濠側にほんの少し出っ張りを造り、そこに石柵で囲んだ鳥居と制札を窮屈に押し込んである形なので、参進すべき一般拝所もなく、そのまま路上で拝礼することになる。写真数枚撮影後、カメラを片付け、汗を拭い、服装を整え、路上にて参拝前の一礼。
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10:20 垂仁天皇皇子五十瓊敷入彦命宇度墓参拝。路上にて一礼して退去。宮内庁の詰所は前方部周濠畔の隅っこに建っている。引き続き御墓を周回する。後円部近くで陪冢らしき土盛りを二ヶ所見かけたが、制札も石標も見当たらず、わずかに境界石(赤ペンキ塗りのヤツ)の存在から陪冢と判断。

国道26号線を南西に向かう。昭和の頃までは海浜リゾートのメインストリートとして賑わったのだろうが、今はレストランなどの廃墟が連なり哀愁を誘う。

11:01 西陵(さいりょう)前着。宮内庁管理の陵墓ではないが、先ほどの宇度墓よりも大きな前方後円形の塚で、紀小弓宿禰(きのをゆみのすくね)の墓ではないかと言われている。岬町教育委員会が建てた説明板に雄略紀該当部分の要約があり、雄略天皇九年、新羅征伐のため紀小弓宿禰を大将軍として遣わすが彼地にて病にかかって薨じ、妻が遺骸を持ち帰ったがどこに葬ってよいものかわからず、勅を奉じた土師連小鳥(はじのむらじをとり)が、田身輪邑(たむわむら)に墓をつくったのだとのこと。
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今回は訪れなかったが、淡輪の氏神、船守神社には紀船守とともに五十瓊敷入彦命、紀小弓宿禰が祀られている。

11:32 南海本線みさき公園駅から、難波行き急行に乗車。

12:06 羽衣着。一旦駅を出て2分ほど歩き、JR東羽衣駅へ移動。

12:22 JR阪和線東羽衣支線東羽衣駅から、鳳行き普通電車で出発。

12:25 鳳着。12:27、天王寺行き普通電車に乗り換え。

12:34 百舌鳥着。駅前の御陵通を、仁徳天皇陵とは反対側の東に向かって歩く。

12:40 百舌鳥陵墓参考地前着。塚丘部のみが陵墓参考地で、周濠は地元が溜池として管理している。制札や石標は塚丘のどこかにあるはずで、カメラを望遠鏡代わりにちょっと探してみたが、まわりを完全に一周する道がないこともあって、見つけることはできなかった。
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12:55 百舌鳥八幡宮参拝。ふとん太鼓で有名な秋祭が一週間ほど前にあったばかりで、境内には紙吹雪に使われた紙がまだ散らばったままだ。四月に履中天皇陵であった千六百年式年祭には、同宮の工藤宮司が参列されていた。
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さらに東へ向かう。

13:31 東百舌鳥陵墓参考地前着。全国八番目の大きさの前方後円形の塚で、よく整った形を今に伝えている。くびれ部の「造り出し」は、特に北側では目で見てはっきりと確認できる。まわりを一周できる遊歩道があるので、早速廻ってみる。
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13:55 東百舌鳥陵墓参考地制札対岸着。場所は後円部側、方角で言うと東側で、周濠を渡って塚丘に繋がる細い地続き部分が造られており、その塚丘側の岸辺に石柵と黒い鉄扉が見える。こちら側の岸にも進入禁止柵があるので渡って行くことはもちろんできないが、ズームで撮影すると石柵の内にホームベース形制札が立っているのもわずかに確認できる。なお、このあたりの周濠は干上がっている。

東百舌鳥陵墓参考地の周濠まわりを一周したのち、御堂筋線のなかもず駅まで歩く。

14:35 大阪市営地下鉄御堂筋線なかもず駅から、千里中央行き電車に乗車。

14:51 天王寺着。

宮内庁書陵部所蔵 古鏡集成
古事記

テーマ : 神社仏閣
ジャンル : 学問・文化・芸術

用明天皇河内磯長原陵

平成十七年九月十七日(つづき)

「太井川」バス停まで戻り、ゆるやかな登り勾配の府道32号線を東に向かう。

途中、聖徳太子御廟のある叡福寺の前を通過。さらに東進し、「用明天皇河内磯長原陵」との石標がある角を曲がるとほどなく、見事に刈り込まれた生垣に囲まれた、方形の兆域が目の前に現れる。

12:06 用明天皇陵前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、汗を拭い、服装を整え、一礼して敷地へ入る。


12:10 用明天皇河内磯長原陵参拝。この御陵の詰所は、宮内庁磯長部の事務所でもある。一礼して退下。もと来た道を叡福寺まで戻る。復路は下り坂なので楽チンだ。

12:25 磯長山叡福寺着。 聖徳太子御廟を守護するために、聖武天皇の勅願により建立された寺で、新西国三十三所霊場客番でもある。汗を拭い、服装を整え、一礼して南大門から入る。伽藍の奥、丘の斜面を背に聖徳太子御廟がある。写真は叡福寺伽藍の様子。


円形の墓丘前に唐破風を持つ覆屋がある・・筈だったが、ブルーシートに覆われ修復中である。弘法大師建立と伝える結界石が墓丘をびっしりと囲むように建っている。おなじみの宮内庁制札なども備えてはいるが、長く太子信仰の霊場として崇敬された歴史の蓄積が色濃い。

聖徳太子御廟に拝礼する前に、境内社の科長岡神社や姞子皇后分骨所の場所を探し、拝礼することにする。

12:30 科長岡神社参拝。

「久邇元帥宮御遺髪塔」という七重石塔がある。宮内庁の制札はなく、『陵墓要覧』にも載っていないので治定陵墓ではない。久邇宮家で元帥に列したのは、第二代邦彦王(陸軍大将、昭和四年薨去)なので、『陵墓要覧』式にいえば「後伏見天皇廿世皇孫邦彦王髪塔」となるだろうか。


12:35 久邇元帥宮御遺髪塔拝礼。一礼して退く。

姞子皇后分骨所は、聖徳太子御廟の向かって右手側にあるが、御廟の石玉垣内であるため前まで参進することはできず、少し離れた所から拝することになる。


12:40 後嵯峨天皇皇后姞子分骨所拝礼。一礼して退く。『陵墓要覧』によれば、塀内には宝篋印塔が建つ筈である。

聖徳太子御廟前まで戻り、線香を捧げる。


12:45 推古天皇皇太子聖太子磯長墓参拝。一礼して退く。

喜志駅までまっすぐ西へ下る。

13:25 喜志駅近くの「食彩浪漫 彩雅」で昼食。「ステーキ御膳」を注文。牛ロース鉄板焼、小鉢、造り、温物(この時は茶碗蒸し)、御飯、吸い物、香の物、デザート(この時は柚子シャーベット)、アイスコーヒー。値段(1800円)の割りには良く頑張った内容で、仕事もまあまあ綺麗である。店にいる間に外では雨が降り出したが、通り雨だったようで、店を出る頃には止んでいた。昼食後、西口自転車置き場で自転車を返却。

14:02 喜志駅からあべの橋行き準急に乗車。

14:26 あべの橋着。

聖徳太子と飛鳥仏教
日本歴史旅行地図帳

テーマ : 神社仏閣
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敏達天皇河内磯長中尾陵

平成十七年九月十七日

9:04 近鉄南大阪線(古市から先は長野線)あべの橋駅から、長野行き準急で出発。

9:29 喜志着。西口から出て、「喜志駅西第一自転車駐車場」内の「近つ飛鳥ネットワーク型レンタサイクル・かわっちりん」で、電動アシスト自転車を借りる。

「かわっちりん」は、地元自治体や近鉄が主体となって、去年十一月から今年十一月末までの一年間限定で試行されている企画で、平日(土曜日も含む)のみ営業、近鉄喜志駅と同富田林駅を貸出・返却場所とし(相互乗捨て可)、一日の利用料金は、電動自転車400円、通常自転車200円と安く、翌朝十時まで利用可(貸出・返却時間は、6:30~20:00)。磯長谷めぐりの足として便利なので、試行期間終了後もぜひ恒久運用して欲しいものである。とりあえず、自転車で磯長谷めぐりをしたい方は十一月末までに行ってみてはどうだろうか。詳しくはこちら(PDF文書)

いやぁ~、迷った迷った。大阪芸大とか、近つ飛鳥博物館とか、大きくズレた方向に行ってしまった。駅東口から素直に真東に進めばそれで良かったんだが。府道32号線の金剛バス「太井川」バス停近くで「右 敏達天皇御陵へ四町 左 聖太子 用明天皇 御陵」という戦前の石標を発見し、ようやく道を得る。

11:30 敏達天皇陵前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、汗を拭い、服装を整え、一礼して駐車場奥の参道へ入る。参道入口から拝所まではわりと距離がある。


11:36 敏達天皇河内磯長中尾陵竝欽明天皇皇后石姫皇女磯長原陵参拝。参道入口まで引き返し、一礼して退下。

つづいて用明天皇陵に向かう。

謎の豪族 蘇我氏
宮内庁書陵部所蔵 古鏡集成

テーマ : 神社仏閣
ジャンル : 学問・文化・芸術

橿原・飛鳥(今井町~耳成山~藤原宮趾~天香山神社~天岩戸神社~香久山~甘樫丘~甘樫坐神社)

平成十七年九月十二日

さて、他日である。(参照

9:20 近鉄南大阪線あべの橋駅から、吉野行き急行で出発。

9:58 橿原神宮前着。前回同様、東口の「近鉄サンフラワーレンタサイクル」で自転車を借りる。一路北へ。

10:20 神武天皇陵参拝後、畝傍陵墓監区事務所にて欽明天皇陵の御陵印を拝受。これで次は磯長谷へ進める。

10:35 今井町着。町の入り口にある下の建物が一番興味深い。町並み自体はそれほど良く保存されているわけでもない。
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11:10 耳成山麓着。南側の登山口からは、急勾配を一気に登っていく耳成山口神社表参道と、ゆるやかに頂上を目指す周遊道の、二種類の登山道があり、好みの方を選べるようになっている。わたしは、まず自転車で山のまわりを一周することにする。
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11:13 山の東麓、耳成山口神社裏参道登り口まで来る。鳥居と石段がいい感じなので、予定を変更してここから登り始める。
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11:16 耳成山口神社参拝。 御祭神は高皇産霊大神、大山祇大神。頂上の少し下、八合目あたりに鎮座している。

11:18 耳成山登頂。木立のため眺望はきかない。三角点近くに「明治天皇大演習御統監之地」という石標がある。
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11:32 自転車を停めた場所に戻らなければならないので、表参道ではなくもと来た裏参道を下山。山麓周回路の続きを廻ってから、耳成山のほぼ真南にあたる藤原宮趾へ向かう。

11:58 国道165号線沿いにある、焼肉店「久太郎」で昼食。石焼ビビンバ。石鍋の焼きが若干足らなかった気がする。

12:33 藤原宮大極殿址着。夏草の繁るに任せられた広大な藤原宮跡に、まばらに木の植わった一角がある。そこが宮の正殿、大極殿の址だ。「持統天皇文武天皇藤原宮趾」と彫られた石標もある。
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続いて南東に見える香久山に向かう。下写真は藤原宮趾から望む香久山。
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一度西側中腹の登山口前まで来るが、登る前に北麓の天香山神社と、南麓の天岩戸神社に参拝しよう。

13:06 天香山神社参拝。 御祭神は櫛真命。
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境内に「天波波迦」の木がある。往古、香久山に住む雄鹿の骨を朱桜(波波迦)の樹皮で焼き卜占を行ったと言われ、平成の大嘗祭に際しても、亀占に用いるためこの波波迦の樹皮が献上されたとのこと。また境内には「赤埴聖地」と彫られた石碑があり、神武即位前紀などに見える、香久山の神聖な土を採取した故地とされている。

14:03 天岩戸神社参拝。境内を覆う竹薮の重みに耐えきれなくなる寸前、といった風情の神社である。
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境内の竹は「七本竹」と呼ばれ、毎年七本ずつ枯れ、七本ずつ新しく生えると伝えられている。拝殿の板壁内に蜂が巣を作っていて、沢山の蜂が飛び交っているが構わず拝礼する。さらに拝殿裏にまわと、鬱蒼とした竹藪に半ば埋もれた「天石窟」という岩があり、御神体となっている。

14:09 香久山西側中腹の登山口に戻り、登り始める。ここには、天香山神社境内の「赤埴聖地」に対応する「白埴聖地」の碑がある。

14:15 香久山登頂。頂上はわりと広いが、西側の一部以外は木立のため眺望はきかない。その西側木立の合間からは、真正面に畝傍山が見えるようになっている。一隅に國常立神社があり、簡素な覆屋の下に二つの祠が並んでいる。14:18、國常立神社参拝。
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香久山下山後、南の方甘樫丘を目指す。青々とした田の中をひたすら真直ぐ走る。

14:40 甘樫丘着。

14:59 甘樫丘登頂。眺望は良く、大和三山のほか、飛鳥寺や入鹿首塚なども見えている。下写真は同丘上から望む畝傍山。
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甘樫丘はここから南西の方向に尾根沿いに細長く公園化されているが、そちらへは行かず、すぐに引き返す。

15:15 甘樫坐神社参拝。

盟神探湯ですよ、盟神探湯。「全員嘘ついてる事になるやん」と突っ込み入れた、あの盟神探湯に因む神事が行われる神社です。現行の神事は至って穏健なものですが。御祭神は推古天皇。
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県道124号線を西進して、橿原神宮前駅東口に戻り、自転車を返却。

15:31 橿原神宮前駅からあべの橋行き急行に乗車。

16:12 あべの橋着。次回は久々に歴代山陵巡拝に復します。

大和三山の古代
極・飛鳥
現代語古事記

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兵庫県摂津・播磨(阿保親王墓~玉津陵墓参考地~日岡神社~日岡陵)

平成十七年九月十日

8:51 JR大阪駅から、東海道本線網干行き快速で出発。

9:11 芦屋着。歩いて東に向かう。

9:20 阿保親王墓前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、汗を拭い、服装を整え、一礼して拝所前に立つ。
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9:28 平城天皇皇子阿保親王墓参拝。拝所前にある石燈籠は、長州藩主毛利侯の寄進したものだという。一礼して退下。

阿保親王といえば周知の通り在原業平の御父だが、それに関して(いささか旧聞に属するが)こんな騒ぎがあった。

御墓のまわりを一周してから、駅に戻る。

9:58 JR東海道本線(神戸から先は山陽本線)新快速姫路行きで芦屋駅発。

10:24 西明石着。わたしは京都で酔っ払ってJRで大阪に帰ろうとして、車掌に起こされたら西明石だったことがある(次に目が覚めたのは膳所だった..)だけで、この駅で降りるのは初めてである。

駅からしばらく東に向かって歩くと、そこはもう神戸市の西区だ。王塚台という街に入って少し北上すると王塚公園に着く。前方後円形の塚である玉津陵墓参考地を囲む形で、まわりが公園になっている。

10:48 玉津陵墓参考地前着。前方部正面の周濠畔にホームベース形制札と鉄扉がある。まわりが公園であるためか、きれいに整備されている印象である。
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公園を一周してから、もと来た道を駅まで戻る。

11:38 JR山陽本線新快速播州赤穂行きで西明石駅発。

11:47 加古川着。最近高架化&駅舎が新築されたようで、大分様子が変わっている。数年前に来たとき、「加古川に行くならアレを喰え」と言われた中華そば屋を再訪したかったのだが、最早見つけることはできない。

12:15 駅一階の「和幸」で昼食。とんかつ。

12:42 JR加古川線加古川駅発。一両編成のワンマン車だが、乗降者が自分でボタンを押して扉を開け閉めするようになっている。

12:45 日岡着。駅近くの日岡山全体が公園になっており、麓に日岡神社、山頂近くに日岡御陵がある。

13:01 日岡神社参拝。神社の御由緒書によると、景行天皇皇后稻日大郎姫命の最初のお産が難産で大変お苦しみになられたため、次に皇后がみごもられた時に、天伊佐佐比古命(同社の主祭神)が七日七夜祖神に安産を願い、無事双子の皇子を御安産なされたとの事で、今に至るまで安産の神様として崇敬を集めている。双子の皇子とは、もちろん大碓命と小碓命(日本武尊)である。(下の写真は随神門)
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神社の拝殿横に稻日大郎姫命陵へ登っていく参道入口がある。
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13:09 日岡陵参道入口着。敷地外から写真撮影後、カメラを片付け、汗を拭い、服装を整え、一礼して参道へ入る。丸石の埋め込まれたゆるやかな坂道を3分ほど登ると制札があり、そこから石段をさらに2~3分登ったところが拝所である。

稻日大郎姫命崩御ののち、奉葬のため加古川を舟で渡御していたところ、にわかに起こった大風により舟は転覆して御尊骸の行方は失われ、わずかに匣(くしげ)と褶(ひれ)のみが発見されたため、これを御陵に埋葬したという。このため御陵の別称を「ひれ墓」ともいう。悲しげな伝承である。

13:15 景行天皇皇后播磨稻日大郎姫命日岡陵参拝。拝所手前から日岡山頂の方へ抜ける径があるので、そちらへ行く。兆域境界で一礼して退下。こちら側の入口には宮内庁のホームベース形制札があるが、その真ん前に加古川市の案内板が制札を遮るかのように立っていて、ちょっと感じ悪い。

日岡山頂の展望台から加古川の流れを眺望したのち下山し、駅に戻る。

14:01 JR加古川線日岡駅発。

14:12 加古川駅で新快速長浜行きに乗り換え。

15:00 大阪駅着。

物語 日本武尊
在原業平―雅を求めた貴公子

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