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舒明天皇押坂内陵

平成十七年十月二十四日

9:15 近鉄大阪線上本町駅から、宇治山田行き急行で出発。

9:53 桜井着。北口にある「近鉄サンフラワーレンタサイクル」で自転車を借り、南へ向かう。

清酒談山正宗の醸造元、西内酒造などに寄り、10:30、崇峻天皇陵附近着。

崇峻天皇陵附近を見てまわってから、今回も倉橋溜池や赤坂天王山のそばを通ってから舒明天皇陵に向かう。・・・ワイン・ガ(ry

国道166号線を「忍阪」バス停前まで進んだところで路地に入り、忍阪集落を抜けたはずれ、外鎌山南麓にあたる谷間の斜面に舒明天皇陵は静かに鎮まっている。

11:28 舒明天皇陵前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して敷地へ入る。腰高い石垣の上に拝所があるが、八角形(『陵墓要覧』では上円下方形)といわれる陵丘は深い木立のさらに上方奥に鎮座しているので、拝所からでもその全貌をうかがうことは出来ない。
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11:50 舒明天皇押坂内陵竝敏達天皇皇子押坂彦人大兄皇子妃糠手姫皇女押坂墓参拝。一礼して退下。

御陵脇の細い径に古い手水鉢が置いてあり、湧き水が引かれてある。往古舒明天皇陵は“逆上の病”に霊験あらたかであるとして参拝者を集めていたそうで、この手水鉢もその名残である。国家機関の直接管理下で地元との繋がりが希薄になりがちな天皇陵でも、かつてはこうした民間信仰の対象となっていたという例であるが、今はそうした趣旨での参拝者も少なくなっているのだろう。各地の神社のように「地元が御陵を守る」という意識が復興して欲しいものである。

谷筋の径を抜けると、少し視界の開けた場所に出る。狭い谷あいの土地を利用して畑がつくられている。すぐ先に鏡女王墓のこんもりした木立が見えている。

11:54 鏡女王墓前着。鏡女王は有名な額田女王の姉で(舒明天皇の皇女または皇孫女との説も)、藤原鎌足公の夫人。この墓は宮内庁管理の陵墓ではないが、宮内庁風の制札が立っている。

「  定

一、魚鳥ヲ捕フル事
一、竹木ヲ伐ル事
一、塵芥ヲ捨ル事

 右條々於域内
 令禁止者也

  大正四年五月

 談山保存會    」

というのが制札の文面であるが、「談山保存會」を「宮内省」と置き換えれば、古写真でよく見る戦前の宮内省の陵墓制札と同じ書式である。むかし宮内省の制札に似せて作ったものが、戦後宮内庁の制札が書式改定したあとも、戦前風のまま残った例である。神社でもそういう制札をよく見かける。
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12:02 鏡女王押坂墓拝礼。墓の脇からぬかるんだ細い地道を登ると、ちょうど鏡女王墓の裏手真上にある大伴皇女墓に達する。

12:05 大伴皇女墓前着。谷の斜面を利用した立地である。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して上り勾配の短い参道へ入る。参道脇に栗の木があり、空のイガがいくつか落ちている。
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12:11 欽明天皇皇女大伴皇女押坂内墓参拝。他の陵墓では特別拝所内にあって間近に見ることが出来ないことが多い石の陵号標が目の前にあるので、じっくり拝見する。一礼して退下。

国道166号線を経て165号線(初瀬街道)に入り、桜井駅近くに戻る。

12:45 桜井駅前の本町通商店街にある「ときわ」で昼食。やきそば定食、五百円也。やきそばと御飯、お新香、味噌汁。

桜井駅の少し西にある、戒重春日神社に向かう。

13:06 戒重春日神社参拝。何の変哲もない小さな神社だが、敏達天皇の訳語田幸玉宮推定地である。
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13:20 桜井駅前に戻り、自転車返却。

13:40 近鉄桜井駅から普通電車に乗車。大和八木で橿原神宮前行き急行に乗り換え。13:54、畝傍御陵前着。

神武天皇陵参拝後、14:12、畝傍陵墓監区事務所にて舒明天皇陵の御陵印を拝受。

14:25 畝傍御陵前駅発。14:38、大和八木で上本町行き急行に乗り換え。

15:14 上本町着。

日本歴史旅行地図帳
旧皇族が語る天皇の日本史
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推古天皇磯長山田陵

平成十七年十月十九日

9:14 近鉄南大阪線(古市から先は長野線)あべの橋駅から、長野行き準急で出発。

9:41 喜志着。今回も「近つ飛鳥ネットワーク型レンタサイクル・かわっちりん」で、電動アシスト自転車を借りる。一路東へ。

10:20 先月は駅に着いてから二時間かかって辿りついた敏達天皇陵附近に、今回はすんなり到着。ホームページ用に最寄のバス停等を再撮影。

叡福寺前を経て、10:40、用明天皇陵附近着。ここでも最寄のバス停等を再撮影したあと、用明天皇陵前から推古天皇陵への道を辿る。

11:05 推古天皇陵前着。稲刈り真っ最中の田んぼが広がる谷を見下ろす高台に、形の良い方形の陵丘が悠然と聳えている。陵丘の裾部分は幕末の修陵事業で整えられたものなので、築造当初からこのように聳え立っていたわけではないようだが、撮影し甲斐のある見事な風景だ。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して敷地へ入る。
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駐車場から拝所へ登っていく参道入り口の向かって左側に、「推古天皇磯長山田陵」と彫られた真新しく見える石標がある。真新しく見えるのだが、裏には「大正十四年十月建設」とある。古い写真ではこの石標は向かって右側にあったはずだ。しばし石標をまじまじ見ていると、宮内庁職員らしき方がカブで目の前に乗り付けて来てジロリ一瞥。アヤシクナイアヤシクナイアヤシクナイ・・・

11:20 推古天皇磯長山田陵竝敏達天皇皇子竹田皇子墓参拝。一礼して退下。近くの二子塚に寄ってから科長神社、小野妹子墓を目指すことにする。

11:45 二子塚着。方形の塚を二つ繋ぎ合わせた珍しい形。これこそが、真の推古天皇と竹田皇子の合葬陵であるという伝承も一部になくはない。推古天皇陵からこの塚まで、のどかな田園風景の中を行く径が続いており、自転車を二子塚下にとめて歩いてみた。

二上山を目印にさらに東へ向かう。

12:06 小野妹子墓参道登り口着。すぐ隣は科長神社である。というより、(現在の土地所有関係はわからないが)このあたり全部が科長神社の旧社地なのだろう。墓は現在、華道の池坊が管理しているらしい。
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12:14 小野妹子墓拝礼。推古天皇、聖徳太子、小野妹子・・さらに源氏三代(頼信、頼義、義家)と、羽曳野市南部も含めたこの一帯には日本史上のビッグネームの奥津城が目白押しであるが、賑やかな観光地化していないのは訪ねるほうにとっては好もしい。(羽曳野市にある源氏三代の墓は荒れ果てすぎだが)

12:23 科長神社参拝。御祭神は、級長津彦命・級長津姫命をはじめ天照大神など八神。で、通称が八社大明神。舟形だんじりが有名な神社である。
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12:30 国道166号線沿いの、道の駅「近つ飛鳥の里・太子」で、おみやげに「万葉の森・力餅」のよもぎ餅を求める。一般におみやげ物といっても、他所で製造されたものを仕入れて売っていることが少なくないが、この「万葉の森・力餅」は地元で手作りされているそうだ。

帰りはゆるやかな下り勾配を楽々西へ下って行く。喜志駅前で自転車を返却し、古市陵墓監区事務所に向かう。

13:17 喜志駅から、あべの橋行き準急に乗車。

13:30 土師ノ里着。

13:50 応神天皇陵参拝後、古市陵墓監区事務所にて推古天皇陵の御陵印を拝受。

14:40 土師ノ里駅から、あべの橋行き準急に乗車。

14:56 あべの橋着。

八人の女帝
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崇峻天皇倉梯岡陵

平成十七年十月十二日

9:15 近鉄大阪線上本町駅から、宇治山田行き急行で出発。

9:53 桜井着。北口にある「近鉄サンフラワーレンタサイクル」で自転車を借りる。料金(一日900円・平日)は橿原神宮前と同じ。

駅の南側にまわり、国道165号線から県道37号線に入って一路南へ。これは談山神社へ向かう道でもある。談山神社は、弑逆の一族を討った大織冠鎌足公を祀る神社である。

10:24 等彌神社着。神武天皇聖蹟伝承のある鳥見山(とみやま)を神奈備とする神社である。
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以前、談山神社に向かうバスの車窓から見かけて、美しいたたずまいの神社だなと気になっていたが、これほどとは思わなかった。古木・巨木がどこまでも続く杜、地面はもちろん、立ち並ぶ石灯篭や木の幹までも覆う分厚い苔、弥高き神威を厳しく保つ社殿、境内を貫き流れるせせらぎの音。かの古歌にある「苔のむすまで」という時間感覚が実感できる蒼枯たる神域である。

また、境内には巨大な御百度石をはじめ、磐座らしきもの、著名人の句碑や歌碑などの石造物が多数ある。日本浪漫派の保田與重郎揮毫による「大孝」碑というものもある。

10:39 等彌神社上津尾社参拝。御祭神は天照皇大神。

上津尾社脇の鳥居を出た辺りの苔は特に見事である。上津尾社から裏参道で引き返すと下津尾社に至る。

10:48 等彌神社下津尾社参拝。御祭神は春日大神、八幡大神。

境内には末社も多く、鳥見山上には神武天皇聖蹟「霊畤」も奉祀されているらしい。いずれ等彌神社参拝と鳥見山登拝のためだけに、もう一度訪れよう。

ゆるやかな上り勾配が続く県道をもがきつつ登っていき、奈良交通「倉橋」バス停そばから、御陵を示す石標が建つ道を入ると、すぐ先の方に崇峻天皇陵の駐車場や制札が見える。御陵は寺川の渓流の岸辺にある。

手前にお寺風の建物がある。元はこの地区の会所として建てられたもので、中には崇峻天皇陵の治定に伴い廃寺となった金福寺の扁額と御本尊が安置されている筈である。

多くの御陵の駐車場は、普段鎖やバリカーで封鎖されていて、一般の車が入ることができないようになっているが、崇峻天皇陵駐車場は入口が開放されている。そのかわり、入口に「崇峻天皇陵参拝者以外駐車禁止 宮内庁」という立札がある。にもかかわらず、駐車場には明らかに御陵参拝ではない車が一台侵入している(下写真)。この企業は、他所様の土地に勝手に侵入して荷捌きするよう教育しているのだろうか。
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11:23 崇峻天皇陵前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、汗を拭い、服装を整え、一礼して敷地へ入る。 駐車場入口には「犬の糞をさせないでください 宮内庁」という札も立っていたが・・・、あるねぇ~。公徳心の欠如した者に、こうした言葉のみによる禁止は通じないのか。この辺りは新興住宅地ではなく、明治の頃から御陵とともに歩んで来た地域の筈なのに、どうしたことだろう。時代とともに、人心の退歩を余儀なくされたのだろうか。旧字名「天皇屋敷」が泣く。

11:45 崇峻天皇倉梯岡陵参拝。一礼して退下。(下の写真は寺川対岸から撮影)
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どこの御陵にもある職員詰所は拝所手前にあるのだが(上の写真に見える建物)、それとは別に拝所内に切妻屋根のお堂のような建物がある。中には崇峻天皇と聖徳太子の御尊牌が奉安されている筈だ。金福寺にこの御尊牌があったからこそ、その境内地が崇峻天皇陵として治定されたのである。

戦前の崇峻天皇陵の写真を見ると、お堂の前あたりに巨木が立っており、「栂椹」あるいは「金福寺の唐松」と呼ばれていたそうだが、今その場所には切り株の痕跡がわずかに認められるだけである。ただ、トガサワラなのかカラマツなのかは知らないが、かつての「金福寺の唐松」の後継木に違いない高木が拝所内に育っている。

ところで、崇峻天皇陵の陵号は、永く「倉梯岡上陵(くらはしのおかのえのみささぎ)」だったが、近年「倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)」と改められたものと思われる。改号の時期はわからないが、御陵印の印面は「崇峻天皇倉梯岡上陵」なので、現在の御陵印が造られて以降ではないかと思う。手持ちの本を色々ひっくり返してみると、戦前の書籍・雑誌全てと、戦後でも古めのものは「倉梯岡上陵」、平成になってから出版されたものは大体「倉梯岡陵」となっている。『陵墓要覧』も昭和三十一年版だと「倉梯岡上陵」、四十九年版と平成版は未確認だ。宮内庁ホームページや、現地の制札は「倉梯岡陵」である。陵号の出典元では「記」が「倉椅崗上陵」、「紀」と「式」は「倉梯岡陵」なので、旧陵号は記・紀・式の折衷のようであるが、記・紀・式の山陵名がそれぞれ異なる場合、陵号はもっぱら「式」に従うので(例外あり)、最近になって原則通りに改めたのだろうか。・・・知恵熱が出るのでこの位で勘弁してください。

御陵の裏にまわってみたり、寺川の対岸に渡ってみたりしたあと、県道から国道166号線に通じる山中の道に入る。つづら折れが続く下り坂で、ペダルを踏まなくてもどんどんスピードがのってくる。車体を右へ左へ傾けて次々にカーブを攻める。気分はワイン・ガードナーじゃい(懐)。途中、道が平らになったところで倉橋溜池の畔を通る。満々と水をたたえて静まりかえった、「湖」と呼びたいような池だ。岸沿いの遊歩道などもよく整備された素晴らしいレジャー環境だが、平日だからか、散策している人が一、二組いるだけだ。

12:17 赤坂天王山着。大化前代を代表する方形の高塚である。近くに寄ってみると、三段に築造された土盛りの様子がよく視認できる。
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国道166号線に出て北に向かって下って行くが、さすがに交通量が多いのでワイン・ガードナーとはいかない。舒明天皇陵参拝の折には再びこの道を通ることになるだろう。166号線から165号線に入ると交通量はさらに増え、道幅の狭さもあって若干危険な思いをしながら桜井駅に向かう。

12:55 桜井駅前着。自転車返却。

13:04 近鉄桜井駅から上本町行き準急に乗車。大和八木で橿原神宮前行き普通電車に乗り換え。13:17、畝傍御陵前着。

神武天皇陵参拝後、13:33、畝傍陵墓監区事務所にて崇峻天皇陵の御陵印を拝受。

13:55 畝傍御陵前駅から普通電車に乗車。14:00、大和八木で上本町行き急行に乗り換え。

14:32 上本町着。

怨霊になった天皇
謎の豪族 蘇我氏

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