スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

山科(遍照僧正墓~山科地蔵徳林庵~人康親王墓~諸羽神社~輪王寺宮墓地~後山階陵)

平成十七年十一月十六日(つづき)

12:04 御陵駅を通り過ぎ、ミネルヴァ書房本社前にある京阪バス「日ノ岡」バス停から大宅行きバスに乗車。大学時代の教科書以外でミネルヴァの本買ったことは多分ないな・・・。

12:12 「上花山」バス停で下車。バス道を少し北に戻る。

12:18 遍照僧正御墓前着。

天つ風雲のかよひ路吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ

の人。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して敷地へ入る。
038-04.jpg

12:20 桓武天皇皇孫遍照墓参拝。一礼して退下。

近くには遍照僧正創建の元慶寺もあるが、今回は立ち寄らずに先を急ぐ。帰りのバスは約一時間後なので、歩いて御陵駅近くまで戻ることにする。

12:45 御陵駅近くの「通てい」で昼食。ゆばあんかけうどんと、かやく御飯を注文。あつあつのあんかけうどんで体が温まる。それにしても「通てい」はなんと読むのだろう。かようてい?

13:20 御陵駅から京阪京津線浜大津行き電車に乗車。同じホームに来る電車でも、地下鉄のものに乗ってしまうと醍醐の方へ行ってしまうので、注意が必要である。

13:24 四宮着。この地名は仁明天皇の第四皇子、人康親王に因むとされる。駅南の旧東海道に出て西へ向かう。

13:30 徳林庵(山科地蔵)着。
038-05.jpg

都への街道筋の出入口六ヶ所に設けられた「六地蔵」のひとつとして有名であるが、本来は人康親王の菩提を弔うために創建されたものという。お堂の裏手に人康親王と蝉丸の供養塔とされる古い宝篋印塔が建っている。
038-06.jpg

13:39 人康親王竝蝉丸供養塔拝礼。一礼して退く。人康親王は琵琶法師や按摩・鍼灸など盲人技能集団の祖神(=天夜尊)として信仰され、蝉丸もまた盲目の琵琶法師として代表的存在であることからともに祀られたのだろう。

山科地蔵脇の道を北へ歩くと、すぐに人康親王を開山とする十禅寺に突き当たる。隣接して人康親王御墓が所在する。

13:42 人康親王御墓前着。参道入り口の鉄扉が閉ざされているので、隣の十禅寺駐車場から御墓近くに進む。敷地外から写真撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して御墓そばに進む。小さな塚に低木が茂り、宝篋印塔の屋蓋の相輪だけが見えている。
038-07.jpg

13:46 仁明天皇皇子人康親王墓参拝。一礼して退下。

旧東海道に戻り、少し西へ歩くと右手に諸羽神社の一の鳥居が見える。四宮の地名については、この神社が山科十八郷中第四番目にあたるからだとの説もある。鳥居をくぐり、京阪の踏切、次いでJR東海道線の高架下を過ぎると諸羽山麓の社地に至る。

14:17 諸羽神社参拝。天孫瓊瓊杵尊の左右に従った天児屋根命と天太玉命をはじめとする六柱を御祭神とする。
038-08.jpg

この地は人康親王の山荘跡とも言われ(近くに記念碑あり)、本殿横には、人康親王が腰掛けて盲人らに琵琶を指南したという伝承のある「琵琶石」も現存するが、社前の由緒書には人康親王の「さ」の字も出てこない。

諸羽神社裏手から北へ進むと疏水に突き当たり、疏水に沿って少し西へ歩いたあと、ゆるやかな上り勾配の道をまっすぐ北上する。閑静な住宅街を抜けた先の山裾、毘沙門堂門跡に達する。同寺脇の急坂を登ったところに墓地があり、その奥深くの谷間に輪王寺宮墓地がひっそりとお鎮まりである。

14:42 輪王寺宮墓地前着。石段下から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して石段を登る。
038-09.jpg

14:52 後西天皇皇子公辨親王墓竝中御門天皇皇子公遵親王墓竝東山天皇皇曾孫公延親王墓竝後伏見天皇十七世皇孫公澄親王墓竝後伏見天皇十九世皇孫喜久宮墓竝後伏見天皇十九世皇孫誠宮墓竝東山天皇皇子公寛親王爪塔竝東山天皇皇孫公啓親王髪爪塔竝東山天皇皇曾孫公璋親王髪爪塔竝靈元天皇皇曾孫舜仁親王髪爪塔竝靈元天皇皇玄孫公紹親王髪爪塔輪王寺宮墓地参拝。一礼して退下。

毘沙門堂の石段では中村勘三郎さん達が時代劇のロケ中である。時代劇といっても、幕末の和洋折衷風軍装をした兵士が集まっている。ギャラリーに加わって少し見ていると、勘三郎さんの台詞に「長岡云々」とあったので、戊辰戦争時の河井継之助を演じているのだろうか。長岡藩といえば「米百俵」か「河井継之助」どちらかだと思う。

安祥寺川沿いの道まで戻りさらに北上する。

15:12 後山階陵前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して拝所前に進む。
038-10.jpg

15:21 仁明天皇女御尊称太皇太后順子後山階陵参拝。一礼して退下。順子太皇太后は仁明天皇の女御であるが、今回再三言及している人康親王の御母ではない。

15:56 山科駅からJR東海道本線(京都までは琵琶湖線、京都からは京都線)網干行き新快速に乗車。

16:30 大阪着。

旧皇族が語る天皇の日本史
田辺聖子の小倉百人一首
スポンサーサイト

テーマ : 神社仏閣
ジャンル : 学問・文化・芸術

天智天皇山科陵

平成十七年十一月十六日

8:52 京阪本線北浜駅から、出町柳行き急行で出発。

9:54 三条着。京都市営地下鉄東西線と京阪京津線が相互乗り入れしている「三条京阪」駅に移動。

改札口で警察官二名が警戒中。ホームのゴミ箱も全て撤去されている。

米国大統領のいる場所の上空には常にKH(キー・ホール=鍵穴から覗くとの含意)という偵察衛星が移動してくるらしいので、今日京都で妙なことをすると、顔まで分かる衛星写真にバッチリ撮られることになるかもね。

10:01 三条京阪駅から京阪京津線四宮行きに乗車。御陵駅までは、地下鉄・京阪どちらの電車に乗っても行ける。

10:07 御陵着。駅名は(地名も)「みささぎ」と読む。2番出口が天智天皇陵への最寄り出口である。駅を出て東へ歩く。

10:21 天智天皇陵参道入口着。脇に日時計形の石碑が建っている。昭和十三年六月に京都時計商組合が創立二十周年記念として、時計にゆかりのある天智天皇陵前に建立したものである。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して参道に入る。
038-01.jpg

まっすぐ北に300メートルほど参道が続いたところに門があり、門を入ってさらに150メートルほど進むと拝所に至る。兆域は広大で、深い杜に包まれている。当御陵は他の上代の陵墓と違って、古代から一度もその所在が失われたことがなく、平安期以降も一貫して国家の宗廟としての祭祀が行われてきた。幕末・明治期に事実上の造営が行われた“近代的御陵”にも、記憶の失われた古代高塚式陵墓にも見られない、「生き続けた」歴史と伝統の分厚い積み重ねが感じられる。

10:31 天智天皇山科陵参拝。一礼して退下。

御陵西側の入り組んだ住宅地を抜けて北側にまわると、兆域に接して琵琶湖疏水が流れており、遊歩道を散策する人が何組かいる。疎水に架かる橋を渡り、御陵真北の山裾にある本圀寺を訪れる。

10:59 本圀寺着。境内奥の墓地手前に、加藤清正公を祀る眞生廟がある。

11:02 正宮(眞生廟)拝礼。
038-02.jpg

御陵東側の住宅街に移動し、かつて天智天皇陵域内にあった祠や燈籠、石竈が移されたという妙応寺を探す。

11:28 妙応寺着。明らかに黄檗宗である。
038-03.jpg

お寺の方にお話を伺うが、天智天皇陵との係わりについてはご存知ないようだ。境内地は往古と比べてかなり縮小しているようであり、元の祠は現存していないが、二つの小さな祠が祀られていて、ひとつは弁財天、もうひとつについてはよく分からないらしい。確証はないが、諸事情から判断してこれが天智天皇陵域内にあった祠の祭祀を継いだものだと思う。また、燈籠についてはそれらしきものを確認できたが、石竈は見つけられなかった。近辺の住宅の敷地内にでも埋もれているのかも知れない。礼を述べて辞去する。

引き続き山科の御陵墓を幾つかめぐるため、御陵駅の方へ引き返す。

物語日本史
幻の都 大津京を掘る

テーマ : 神社仏閣
ジャンル : 学問・文化・芸術

慶祝

清子内親王殿下・黒田慶樹さんに心よりお祝い申し上げます。

齊明天皇越智崗上陵

平成十七年十一月九日

9:20 近鉄南大阪線あべの橋駅から、吉野行き急行で出発。

9:53 橿原神宮前着。西口へ出る。

斉明天皇陵へは、以前宣化天皇陵に参拝した時と同じ「近鉄御所駅」行きバスに乗らなければならないが、9:40にバスが出たばかりで、次は10:40、その後は11:40と、一時間一本しかない。別件を先に済ませることとし、ちょうどバス停に停まっていた奈良交通バス「南白橿」行きに乗り込む。10:03、発車。

10:10 「南白橿」バス停着。南に向かい、白橿中学の横から里山へと分け入る。落ちている色々な種類のドングリを踏みしめて進む。このあたりは「真弓丘」の一角である。

10:18 牽牛子塚着。石槨の一部が露出した塚で、元は二段築成の八角形塚だったと考えられている。
037-01.jpg

「南白橿」バス停まで引き返し、白橿町の高級住宅地や橿原ニュータウンの脇を抜け、貝吹山の支峯、石船山(いわふねやま)の麓に至る。この頂上近くに巨石建造物「益田岩船」がある。草を掻き分け、木に張られたロープを手掛かりにしながら登って行くと、木漏れ日の中に場違いな巨岩が鎮座する様が目に入ってくる。

10:50 岩船前着。東西11メートル、南北8メートル、高さ4.7メートルの花崗岩製の建造物である。古く、平安期に築造された「益田池」の台石と考えられていたため「益田岩船」の呼称があるが、現在では飛鳥時代の遺物とする説が有力である。用途については、横口式石槨説・占星台説・物見台説等あるが未詳。飛鳥地方に点在する奇怪な石造物群の中で最大のものである。
037-02.jpg

岩船の上にも登れるものと思って来たが、「登らないでください 文化財を大切にしましょう」という立て札があるので断念する。

山を降りて住宅地を少し北上し、貝吹山から伸びる尾根の北東端、小谷のあたりに至る。

11:13 巨大な花崗岩で組んだ玄室が剥き出しになった塚の前に達する。玄室の天井石は、かの石舞台の天井石より大きいのだという。封土の多くが失われているが、もとの塚形は、円丘もしくは方丘、あるいは八角丘であったかと推測されている。
037-03.jpg

新興住宅地から古い鳥屋町の集落に入り、宣化天皇陵を遠望しつつ「鳥屋」バス停を目指す。11:40に橿原神宮前駅西口を出る「近鉄御所駅」行きバスは、3~4分後に「鳥屋」に着くはずである。それに乗らねばならない。

11:45 奈良交通「鳥屋」バス停から、「近鉄御所駅」行きバス乗車。

11:55 「郡界橋」バス停で下車。曽我川に架かる郡界橋を渡り、車木集落を抜ける旧街道を進む。斉明天皇陵がある「越智崗」はすぐ目の前に見えている。ここは奈良盆地の南端、越智岡山塊の西辺にあたる。先に訪れた真弓丘や貝吹山あたりがその北東辺である。

12:05 斉明天皇陵及び太田皇女墓参道登り口着。敷地外から写真撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して参道へ入る。真直ぐに続く石段を登って行く。
037-04.jpg

少し上ったところで石段が枝分かれしているので、そちらへ行ってみるとごく小さな八幡神社がある。覆屋に守られた本殿を垣間見ると、彩色されたなかなか立派なものである。
037-05.jpg

12:10 八幡神社参拝。神社撮影後、カメラを片付け参道に戻る。真直ぐ登って来た石段は、途中から左右に曲がりながら進むことになる。しばらく上ると参道が分岐する先に太田皇女御墓の小ぢんまりした拝所がある。

12:13 太田皇女墓前着。一礼して参進。

12:16 天武天皇妃太田皇女越智崗上墓参拝。一礼して退下。メイン参道に戻りさらに登って行くと、ようやく斉明天皇陵の拝所が見えてくる。

12:21 斉明天皇陵前着。一礼して参進。

12:25 齊明天皇竝孝天皇皇后間人皇女越智崗上陵竝天智天皇皇子建王墓参拝。一礼して退下。

「郡界橋」バス停まで戻り、近くで昼食を済ますことにする。

13:00 バス停前の「みき」で昼食。ハンバーグランチ、コーヒー付き。

13:39 「郡界橋」バス停から、「八木駅」行き奈良交通バスに乗車。このバスは途中「畝傍御陵前」を通るので、斉明天皇陵参拝後に御陵印をいただきに行くのに便利だ。一時間一本だけど。

あるバス停を通過したあとで、運転手が「今のバス停、サイドミラーに人影が見えたような気がしたんですけど、誰も待ってませんでしたよね?」と、近くの乗客に訊き、乗客が「誰もいませんでしたよ」と答えている。のどかと言えばのどかだが、私は以前吉野神宮に参拝したとき、バス停で待っていたのにバスに素通りされたことがあるので、内心ヒヤヒヤした。五分に一本来るバスじゃないんだし。

14:01 運賃の小銭が足りなくなる惧れがあり、他には一万円札しか持っていなかったので、「畝傍御陵前」のひとつ手前、「橿原体育館」バス停で下車。

14:15 神武天皇陵参拝後、畝傍陵墓監区事務所にて斉明天皇陵の御陵印を拝受。

14:43 畝傍御陵前駅発。14:49、大和八木で上本町行き準急に乗り換え。

15:42 上本町着。

八人の女帝
白村江

テーマ : 神社仏閣
ジャンル : 学問・文化・芸術

『御陵参拝案内』更新

『御陵参拝案内』の各御陵ごとのページに、外部リンクで周辺地図を見られるようにしました。

「御陵所在地」の項目で、住所が書いてあるうしろの「地図」という文字をクリックして下さい。

三笠宮寛仁さま、女性天皇容認に疑問…会報にエッセー(Yahoo!ニュース)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051103-00000001-yom-soci

 三笠宮寛仁さま(59)が、自身が会長を務める福祉団体の会報で「女性天皇」に触れ、「歴史と伝統を平成の御世(みよ)でいとも簡単に変更して良いのか」と、疑問を投げかけられていることがわかった。

 皇籍を離脱した元皇族の復帰や、元皇族を女性皇族の養子として皇位継承権を与えるなどの方法により、男系継承を守るべきだとの考えを示されている。小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」は女性・女系天皇の容認を打ち出し、最終報告書の取りまとめに入ったが、この問題について皇族が考えを明らかにしたのは初めて。

 寛仁さまの意見が掲載されているのは、福祉団体「柏朋(はくほう)会」の会報。寛仁さまは「とどのおしゃべり―近況雑感」という題でエッセーを連載しており、その最新号で「政治問題で口出し出来ないのですが、会報は市販されておらず“身内”の小冊子と理解し『プライヴェート』に語るという体裁を取ります」と断って「女帝問題」を論じられている。

 寛仁さまはまず、「万世一系、一二五代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と強調。〈1〉皇籍離脱した元皇族の皇統復帰〈2〉女性皇族(内親王)に元皇族(男系)から養子を取れるようにし、その方に皇位継承権を与える〈3〉廃絶になった秩父宮や高松宮の祭祀(さいし)を元皇族に継承してもらい、宮家を再興する――などの方法を挙げられている。

 その上で、「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりません」とし、「国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、二六六五年の歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴(いただ)かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論に迄(まで)発展するでしょう」と結ばれている。

 天皇や皇族は憲法上、政治的な権能を有しておらず、有識者会議はその意見聴取をしていない。
(読売新聞) - 11月3日3時5分更新

皇室と日本人―寛仁親王殿下お伺い申し上げます
皇族の「公(おおやけ)」と「私(わたくし)」

孝天皇大阪磯長陵

平成十七年十一月二日

9:14 近鉄南大阪線(古市から先は長野線)あべの橋駅から、長野行き準急で出発。

9:41 喜志着。今回も「近つ飛鳥ネットワーク型レンタサイクル・かわっちりん」で、電動アシスト自転車を借りる。「かわっちりん」は、今月一杯でひとまず終了の予定である。一路東へ。

叡福寺、太子町役場前などを経て「日本最古の官道」竹内街道に入る。古い集落の中、坂道を上って行く。御陵駐車場の向かいには国登録文化財「大道旧山本家住宅」があり、茅葺(一部瓦葺)の立派な屋根が見える。

10:22 孝徳天皇陵参道前着。この御陵は「鶯のみささぎ」とも呼ばれる。駐車場には軽トラが一台停まっている。御陵敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して参道へ入る。
036-01.jpg

駐車場に停まっていた軽トラの主であろう若い職員さんが生垣の刈り込みをしている横を通り、 曲がりくねった参道を登って行く。兆域と民有地の境界が入り組んでいるようで、参道のすぐ横に一般の墓地がある。道脇には大きなフェニックスの木もある。

特別拝所及び鳥居の正面は、麓の里を見晴らすように立地しているが、その前はすぐ切り立った斜面になっていて、一般参拝者が正面にまわるスペースはないので、横から拝する形になる。

10:35 孝天皇大阪磯長陵参拝。一礼して退下。

11:00 太子町役場近くの「ふくべ」で昼食。2ちゃんねる系「まちBBS」の太子町スレッドで大変愛着を持って語られるお好み焼き店。やきそば定食(大)を注文。大盛のやきそばと、御飯、味噌汁、お新香。おばちゃん二人とおっちゃんがやっている家庭的ないいお店。

来た道をそのまま戻り、喜志駅前で自転車を返却。

11:32 喜志駅から、あべの橋行き準急に乗車。

11:42 土師ノ里着。

12:05 応神天皇陵参拝後、古市陵墓監区事務所にて孝徳天皇陵の御陵印を拝受。

12:30 土師ノ里駅から、あべの橋行き準急に乗車。

12:46 あべの橋着。

謎の豪族 蘇我氏
大化の改新

テーマ : 神社仏閣
ジャンル : 学問・文化・芸術

最近の記事
最近のトラックバック
カテゴリー
月別アーカイブ
プロフィール

松倉大貳

  • Author:松倉大貳
  • 歴代天皇陵や皇族陵墓参拝の記録
ブログ内検索
リンク
RSSフィード
参考図書
さらに探す
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。