弘文天皇長等山前陵

平成十七年十一月二十八日(つづき)

14:20 弘文天皇陵前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して敷地に入る。すぐ裏は大津市役所の庁舎である。
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14:24 弘文天皇長等山前陵参拝。一礼して退下。兆域に隣接して、新羅善神堂の鳥居が忘れ去られたかのように建っている。

ホームページ用の道順写真を撮りながら、別所駅へ向かう。16時までに月輪陵墓監区事務所へ行きたいので、気が焦る。

14:41 京阪石山坂本線別所駅から、石山寺行きで出発。

14:46 浜大津着。向かいのホームで京津線電車を待つ。

14:56 京阪京津線(御陵からは京都市営地下鉄東西線)京都市役所前行きに乗車。

15:17 三条京阪着。京阪本線三条駅に移動。

15:23 京阪本線三条駅から、淀屋橋行き準急に乗車。

15:29 東福寺着。

15:53 月輪陵墓監区事務所にて天智天皇陵と弘文天皇陵の御陵印を拝受。この事務所は今回が初めてである。月輪御陵参拝は時間の関係で見送る。

16:20 京阪本線東福寺駅から、淀屋橋行き準急に乗車。丹波橋駅で特急に乗り換え。

17:10 天満橋着。

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大津(下坂本陵墓参考地~園城寺~道寛親王墓~源義光墓~新羅善神堂)

平成十七年十一月二十八日

9:30 JR京都線(東海道本線)大阪駅から、長浜行き新快速で出発。

9:59 京都着。向かいの湖西線ホームで待つ。

10:19 3分遅れで湖西線永原行き普通電車出発。

10:36 比叡山坂本着。北東に歩く。田畑の中にポツンとある下坂本陵墓参考地飛地に号を拝見してから、木の岡丘陵に造成された住宅地の中を上っていく。丘陵地の途上には前方後円形の塚である茶臼山(下坂本陵墓参考地飛地は号)もある。

11:12 下坂本陵墓参考地着。弘文天皇御母の奉葬地との伝承があるという。制札は古びているが、ちゃんとした参道がしつらえてあり、鉄扉やその両側の石柵は比較的新しい。参道入口にも真新しい石標が建っている。草もきれいに刈り込まれており、陵墓参考地としては例外的な手厚い整備ぶりではないだろうか。
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もと来た道をJR比叡山坂本駅まで戻ってから、京阪坂本駅に向けて西へ歩く。この道は日吉大社の表参道でもある。

11:45 京阪石山坂本線坂本駅着。日吉大社の大鳥居が先の方に見えている。以前日吉大社に参拝した折に大変清々しい印象を持ったので、今日も出来れば参拝して行きたいところだが、予定が立て込んでいるので未練を残しつつ次へ向かう。
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11:52 坂本駅から、京阪石山坂本線石山寺行きで出発。

12:06 三井寺着。園城寺(三井寺)に向かう。

12:15 長等山園城寺仁王門前着。
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門前の「れすとらん風月」で昼食。長寿そばを注文。餅や大きなえび天が入っている。食事後、同じ建物内にある土産店で琵琶湖産もろこの佃煮を求める。

仁王門内で500円の拝観料を納めて寺域に入る。

天台寺門宗総本山長等山園城寺は、弘文天皇皇子与多王が田園城邑を投じて創建され、天武天皇より「園城」の勅額を賜ったことから寺号としたものである。延暦寺の「山門」に対する「寺門」として知られ、国宝の金堂をはじめ、三井の晩鐘、弁慶の引摺り鐘、西国十四番札所観音堂、一切経蔵、三重塔など、本来は丸一日かけてまわるべきお寺である。

金堂は現在工事中で、隣の閼伽井屋と併せて覆屋に覆われている。一切経蔵も屋根の一部に養生シートが掛けられている。

金堂横の閼伽井屋を拝観する。園城寺が一般に「三井寺」と呼ばれるのは、天智・天武・持統の三天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井の寺」と呼ばれたことに由来するという。閼伽井屋内の霊泉からは、今なお「ボワッ、ボワッ」と音を立てて水が湧き出している。

寂しい林道を長等山方向へ登り、行き止まりになっている先からは険しい山道に分け入る。こんなところに本当に皇族墓地があるのだろうか。

13:06 道寛親王御墓前着。境界外から写真撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して御墓前に進む。
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13:08 後水尾天皇皇子道寛親王墓参拝。一礼して退下。

一度園城寺に戻ってから、東海自然歩道を北を向いて歩く。園城寺には紅葉狩りの参拝客がわりと沢山いたが、ここまで来ると誰にも出会わない。途中、源義光建立の金光院の跡地を見る。檜の林の中に、木の立て札がぽつねんと建っている。

13:52 新羅三郎源義光公墓拝礼。
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羽曳野にある頼信、頼義、義家の墓にも参ったことがある。同様の丸い土盛りのお墓だったが、向こうは通法寺の旧境内地であったからか、鳥居は建っていなかった。

さらに東海自然歩道を北行したあと、東の人里に下る。

14:12 新羅善神堂参拝。園城寺北院の鎮守である。
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源義家が「八幡太郎」と称されるのは、石清水八幡宮の社前で元服したことによるのは良く知られているが、源義光が「新羅三郎」と呼ばれるのが、この新羅善神堂(新羅明神)社前で元服したことによるのはあまり知られていないようだ。私も大学一年までは知らなかった。あと、義家と義光の間には、賀茂二郎義綱がいる。

ここから弘文天皇陵までは目と鼻の先である。

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