光仁天皇田原東陵

平成十八年六月十二日

9:06 近鉄奈良線日本橋駅から、奈良行き快速急行で出発。

9:42 近鉄奈良着。

10:24 駅前の奈良交通バス4番乗り場から、「北野」行きバスに乗車。バスは奈良市街から県道80号線を走って春日山地に入り、大きなダムの建設現場などを横目に見ながら、峠道を越えて田原地区に向かう。田原に入ると、春日宮天皇陵前のバス停「田原御陵前」も通過する。

10:59 「日笠」バス停で下車。狭い平地には水田、斜面には茶畑がある日笠の集落を抜けて行く。

御陵はすぐ先に見えているが、その少し手前、県道を挟んで御陵に向き合う格好で北浦定政墓?とその顕彰碑が建っている。
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北浦定政は幕末の伊勢・津藩士で、山陵や平城京趾の調査を行った人物である。このあたりは江戸期津藩の領地で、文久の修陵では藩主藤堂高猷が光仁天皇陵を修復した。顕彰碑の文字は、白い塗料が溶け出して一部読み辛くなっているが、下に全文を掲げる。

靈亀亭北浦定政ハ和州添上郡古市
村ノ人 勢州藤堂藩ノ古市奉行所
ニ出仕シ 後藩士トナル 先生
勵格勤 亦思ヲ山陵古都宮址ノ
荒蕪ニ致シ山林田圃ヲ歩歩ニ踏査
シ考証是レ努ム 打墨縄并大内裏
坪割図ハ成果ノ尤モニシテ學者以テ
指針トナス 故ヲ以テ亦山陵ノ守
護等ヲ命セラレ日夜盡瘁ス 明治
四年歿スルヤ光仁天皇田原東陵ノ
考定修補ニ功アリトシテ仰敬スル
田原村民此ノ碑ヲ建ツ 縁ニ因テ
先生ノ生誕一百六十年ヲ記念シ此
処ニ其ノ偉業ヲ顯彰ス
 昭和五十一年十一月六日
       北浦定政顯彰會

11:37 光仁天皇陵前着。少し下り勾配になった参道の先に、生垣で形良く円形に整えられた兆域が見える。事前に見た写真では、参道の両側には水田が広がっていたはずだが、今は雑草が繁るなか所々に重機で掘り返された穴や積み上げられた土砂があり、今も御陵右手側ではユンボが稼働中であるのは何事だろうか。御陵の環境や景観を損なうような開発でなければ良いのだが。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して参道を進む。
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11:46 光仁天皇田原東陵参拝。どの御陵にも見られる鳥居前の一対の燈籠とは別に、一段下がった所に古ぼけた燈籠が一基建っていて、倒れないように突っかえ棒がしてある。藤堂家による修陵時の名残なのだろうか。また一般拝所には手水鉢もある。一礼して退下。

車も人もほとんど見かけない県道183号線を西に進む。

12:00 太安万侶墓下着。茶畑の中かなり急な斜面を登って行くと、昭和五十四年に『古事記』の編者太安万侶の墓誌が発見されて大騒ぎになった墓がある。新聞の一面に記事が載ったのを私もおぼろげに覚えている。
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12:05 太安万侶墓拝礼。

下は太安万侶墓前から望む田原の里。
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県道183号から親王山東麓を突っ切り、バスで通った県道80号線に出る。「田原御陵前」バス停を目指して西へ歩く。

「田原御陵前」バス停に着けば、春日宮天皇陵参道入口はすぐそばである。傍らには、元皇族・賀陽邦壽氏(賀陽宮恒憲王第一王子)の筆になる春日宮天皇御製碑が建っている。
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万葉集に志貴皇子(春日宮天皇)御歌として載っているものとは少し語句が違うようだが、

いわはしるたるみかおかのさわらびのもえいずるころになりにけるかも

と読める。

12:43 春日宮天皇陵参道入り口前着。低い尾根か土手のような場所を貫いて細く長い参道がまっすぐに続いている。参道の先に拝所の白砂がわずかに見えるが、御陵の全貌はその尾根に遮られていて望めない。参道外から写真一枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して参道に入る。拝所前まで進むと、参道に小さな橋が架かっていて、下には地元の農道が走っている。

13:00 天智天皇皇子追尊天皇春日宮天皇田原西陵参拝。一礼して退下。参道に架かる橋から下の農道に飛び降り、少し離れたところから写真を数枚撮影する。
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奈良市街方面に向かうバスは、昼間帯には二時間に一本しかないので、県道80号線をぶらぶら東に歩きながら飲食店を探す。

13:40 バス道沿いの食堂「つまや」で昼食。親子丼。

まだまだ時間があるので、一度光仁天皇陵まで戻ってから、今朝下車した「日笠」バス停に向かう。

14:40 奈良交通「日笠」バス停から、「JR奈良駅」行きバス乗車。

15:17 「近鉄奈良駅」バス停で下車。御陵印拝受は日を改めよう。

15:27 近鉄奈良駅から、難波行き快速急行に乗車。

15:58 上本町着。

物語日本史
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大和の古寺 新薬師寺・白毫寺・円成寺・大安寺
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稱天皇高野陵

平成十八年六月一日

8:51 近鉄奈良線近鉄難波駅から、奈良行き快速急行で出発。

9:25 大和西大寺着。以前成務天皇陵に参拝した折に、称徳天皇陵の前も通っているので迷うことはない。

9:38 称徳天皇陵前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して参進。
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9:45 稱天皇高野陵参拝。一礼して退下。

このあたりでは称徳天皇陵・成務天皇陵・日葉酢媛命陵の三陵が、ジグソーパズルのピースを嵌め込んだように隣接しており、梅雨前の貴重な日照を浴びつつ一帯を探訪する。

一度駅まで戻り、称徳天皇陵とは駅を挟んで反対側にあたる西大寺に向かう。

11:10 西大寺着。現在は真言律宗の総本山であるが、本来は称徳天皇が鎮護国家を願って創建された寺である。造営当初の称徳天皇陵の兆域は、同寺の旧境内地に含まれていたものと考えられる。写真は本堂(重要文化財)。
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西大寺の北通用門から出て、境内北辺に沿って走る道を西へ歩く。西大寺新田町から西大寺野神町を経て、西大寺竜王町に入る。袋小路の多い迷路のような住宅地の中を上って行くと、北西から南東に伸びている丘陵の突端部、ちょうど西大寺本堂方向を望むように開けた高台に、龍王大神というごくごく小さな神社がある。小さくはあるが、地元の方によって非常に良く手入れされているようだ。
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11:30 龍王大神参拝。周囲は完全に宅地化していて、往古の様を想像するのはなかなか難しい。来た道を駅まで引き返す。

12:00 大和西大寺駅南側の「よってこ」で昼食。焼豚炒飯ランチ。焼豚炒飯とラーメンのセットで、ラーメンは「屋台風醤油とんこつ」と「白とんこつ」のどちらかを選ぶことになっている。炒飯に入っている焼豚の甘さが少し気になった。

12:29 近鉄橿原線大和西大寺駅から、橿原神宮前行き普通電車に乗車。

13:05 畝傍御陵前着。

13:20 神武天皇陵参拝後、畝傍陵墓監区事務所にて称徳天皇陵の御陵印を拝受。

13:39 近鉄橿原線畝傍御陵前駅から、京都行き急行に乗車。大和八木で上本町行き普通電車に乗り換える。

14:52 上本町着。

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和気清麻呂
天平に輝く吉備真備公
藤原仲麻呂

テーマ : 神社仏閣
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淳仁天皇淡路陵

平成十八年五月二十二日

8:55 JR三ノ宮駅近くの神姫バス「三ノ宮バスターミナル」から、淡路交通運行の「洲本高速バスセンター」行き三ノ宮・洲本線高速バスで出発。

世界最長の吊り橋、 明石海峡大橋を渡って「島の始まり」淡路島に入る。島に入ると道沿いのそこここに花壇が整備されているのが目立つ。淡路は「花の島」のようだ。そういえば数年前、「淡路花博」というイベントがあったっけ。

10:15 「洲本高速バスセンター」着。淳仁天皇陵方面行きの島内路線バスは少し前に出たばかり。次のバスまでは一時間ほどあるので、バスセンターの建物内でテレビを見たり、土産店を冷やかしたりして過ごす。今日はかなり歩く予定なので、今みやげを買って荷物を増やすわけにはいかない。

11:13 淡路交通バス縦貫線「福良」行きに乗車。バス車内になんとなくタマネギの香りが・・。気のせいかな?

11:59 「御陵前」で下車。ものすごい強風でバス停のベンチがひっくり返っている。そしてタマネギの香り。気のせいではなかった。ちょうど今は新タマネギの収穫シーズンだ。見渡す限りのタマネギ畑の先に淳仁天皇陵の森が見える。

予想外の強風に戸惑いながら、淳仁天皇陵に向かう。御陵に隣接する「天王池」の土手に上がると、風に吹き上げられた水しぶきが飛んでくる。

12:22 淳仁天皇陵前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して参進。
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12:27 淳仁天皇淡路陵参拝。一礼して退下。詰所の扉に“三ヶ所管理に付不在時は御陵印の捺印を東へ六○○mの「万福寺」に捺印の依頼をしておきます”と書かれた貼紙がある。実際には御陵印は常時万福寺に預けられているはずだ。

12:40 賀集山萬福寺着。「賀集山」の扁額が掲げられた本堂に靴を脱いで上がり、堂内左手奥の朱印所のようなところで淳仁天皇陵御陵印捺印の希望を申し出る。このお寺は「淡路七福神」の一つ(恵美酒神)ということで、朱印所もそちらの御朱印がメインのようである。
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12:50 淳仁天皇陵御陵印拝受。

つづいて万福寺のほぼ真南にあたる淳仁天皇御母山背(当麻夫人)淡路墓に向かう。

13:03 淡路墓前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して参道に入り石段を上がる。
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石段途上の左手に詰所の基礎だけが残っていて、簡素な木造の道具入れが設置されている。かつて建っていた詰所が時とともに無くなり、今や詰める職員もいないことから再建する必要もなく、道具入れだけを置いたのだろう。それとも、いつの日か詰所を再建する意志を示すため、あえて粗末な道具入れにとどめたのだろうか。

13:09 天武天皇皇子追尊天皇崇道盡敬皇帝妃大夫人山背淡路墓参拝。他の陵墓にあるような石標が見当たらない。一礼して退下。

淳仁天皇陵方向に引き返す。現在、「御陵前」バス停のある国道28号線から淳仁天皇陵前、さらに当麻夫人墓前を経て南下する車道が建設中である。この道路が完成すれば、「御陵前」バス停から淡路陵・淡路墓まではまっすぐ南下してくることが出来るようになる。

国道28号線を越え、西淡三原インターに通ずる車道をとぼとぼと北上する。志知中島という所まで来て東に進路を変え、人里を目指して歩く。

14:25 大炊神社着。「淳仁天皇大炊神社」と刻まれた大きな石碑があり立派な社殿も建っているが、鳥居はない。
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以下は社前にある説明板の全文である。

天皇塚・大炊神社(淳仁天皇伝説地)

 淳仁天皇が、天平宝字八年(七六四年)十月九日、政治の争いの犠牲となって皇位を廃され、親王の位を賜って「淡路の公」という名で、御母当麻夫人とともに淡路島に配流され、ここ中島大屋所に住まわれたといわれています。

 配流された翌年の天平神護元年(七六五年)十月二十三日に、この地でなくなられ御遺体はここ天皇塚に埋葬されたと伝えられています。

 住民は今も、霜よけの「こも」を編み、埋葬場所と伝えられる杉の木の根本にかけ、天皇の霊をお慰めしています。

 天皇塚の北方に並んで現在、淳仁天皇をお祀りした大炊神社が造営されています。

  平成十四年三月吉日

         志知中島組

拝殿に隣接して背の低い石玉垣に囲まれた森が「天皇塚」である。正面には燈籠や狛犬、お供えを置く台もある。森の中、奉葬場所と伝えられる杉の木は既に枯れているが、切り株の上に藁の「こも」が架け渡されて日陰を作っている。その奥には方形の小さなお堂があり、石仏が安置されているのがわずかに見える。こもは毎年五月に掛け換えるらしいので、最近新調されたばかりだろうか。

14:35 天皇塚、次いで大炊神社に参拝。

歩くのもおぼつかないほど凄まじい風に吹きさらされながら、タマネギ畑や牛舎の脇、小さな集落などを抜けて東へ東へと進む。旧三原町の中心部近く、市十一ヶ所あたりまで来る。この周辺にも淳仁天皇所縁の地がいくつかある。

15:24 野辺の宮参拝。これも淳仁天皇を御祭神とする神社で、天皇の野辺送りをした場所とされる。敷地内には地元の老人福祉センターがあり、ゲートボール場の奥に小さな祠が建っている。祠の隣には「琵琶の辻」と彫られた碑がある。天皇が琵琶を弾いて悲憤の日々を過ごされたという伝承に因むものである。
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15:35 宝積寺着。淳仁天皇の御尊牌を安置しているお寺で、表札にも「淳仁御位牌寺」とあり、境内には淳仁天皇千二百年御忌を記念して建てられた石碑がある。
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15:42 市陵墓参考地前着。淳仁天皇仮埋葬の地と伝えられる。横手のフェンスに沿って花が綺麗に植えられている。
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下は市陵墓参考地内に聳える見事な楠。
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「市」バス停に急ぐ。16:14のバスに乗れなければ一時間待ち呆けることになる。法務局出張所、南あわじ市役所三原庁舎(旧三原町役場)などのある三原のメインストリートを一気に南下する。

16:12 「市」バス停着。

16:14 「市」バス停から、淡路交通バス縦貫線「洲本高速バスセンター」行きに乗車。

途中「淡路ファームパーク・イングランドの丘」前を経由する。でかいタマネギのモニュメントに苦笑。

16:52 「洲本高速バスセンター」着。17:00発の三ノ宮行きバスがあるが、みやげをゆっくり選びたいのでバスを一本遅らせよう。

バスセンター内の土産店で、洲本市酪農農協産の「島そだち牛乳」、牛乳ケーキ「島そだち」、枇杷の実入りゼリー「枇杷きらら」、それに淡路産牛乳で作ったアイスクリームを求める。

17:45 淡路交通運行の「三ノ宮」行き三ノ宮・洲本線高速バスに乗車。

19:06 神姫バス「三ノ宮バスターミナル」着。

次回はまた「国の始まり」大和の国へ。

怨霊になった天皇
藤原仲麻呂

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