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岩倉(山住神社~岩倉具視公幽棲旧宅~實相院門跡~石座神社~萬里小路藤房卿髪塔~大雲寺~岩倉陵~實相院宮墓地)

平成十九年十二月二十七日

9:00 京阪本線淀屋橋駅から、出町柳行き特急で出発。

9:56 出町柳着。叡山電鉄出町柳駅に移動。

10:13 叡山電鉄鞍馬線出町柳駅から、二軒茶屋行き普通電車に乗車。

10:27 岩倉着。

駅から少し北に歩いたところで西に進み、岩倉川を越えて山住神社に向かう。

10:38 山住神社参拝。
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社殿はなく、拝所奥の巨石を磐座、その背後の山を神奈備山として崇敬している。この巨石は、平安遷都に際し京の四方を守護する磐座のうち北の守りとされたものともいう。『三代実録』にいう石座神社はここであるが、のちに大雲寺が円融天皇の勅願寺とされたおり、大雲寺の鎮守社として現在の石座神社の地に遷座し、当社は山住神社と名を改めて石座神社の御旅所となったものである。この磐座が「岩倉」の地名の由来となったことは言うまでもない。

山住神社前から岩倉川に沿って北上する。

10:56 岩倉具視公幽棲旧宅着。維新の功臣岩倉具視公が文久二年から慶応三年までの五年間、祖先所縁のこの地に幽棲蟄居した旧居である。敷地内には「岩倉具視公お手植えの松」や遺髪塚もある。300円を納めて入場する。
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岩倉公旧宅見学後は、岩倉病院の前を通り實相院門跡に向かう。

11:35 實相院門跡着。
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後西天皇皇子義延法親王の入室以来宮門跡となった寺院である。往時は大雲寺をも配下に置き、後述する精神病者の籠屋に営業権を与える役割も果たした。500円の拝観料を納めて御殿に上がらせていただく。

實相院門跡の拝観を終え、バス駐車場横から上がっていく石畳の参道に入る。これはもともと大雲寺の参道であった道である。すぐに石座神社に行き着く。
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12:10 石座神社参拝。

先に訪れた現・山住神社から大雲寺の鎮守社として遷座し、その後様々な神霊をも勧請して、現在二棟並んでいる社殿の東社に八所明神、西社に十二所明神を祀る。

石座神社前から大雲寺参道をはずれ、東にゆるやかに下る坂を進むと、萬里小路藤房卿の髪塔がある。相輪が欠けた宝篋印塔である。萬里小路藤房卿は、後醍醐天皇に従って笠置山に遁れたのち出家して妙心寺二世となり、昭和天皇より「微妙大師」の号を勅賜された方である。
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12:15 萬里小路藤房卿髪塔拝礼。

そのすぐ先が(現在の)大雲寺である。

12:20 大雲寺着。
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もと紫式部の母方の曾祖父藤原文範公の私寺であったが円融天皇の勅願寺とされたもので、山号は紫雲山とも石座山ともいう。冷泉天皇皇后昌子内親王により観音院が建立され、同内親王の御陵も境内に造営された。平安期から「脳病」に霊験あらたかな寺として知られたことから、「脳病者」「乱心者」と言われた精神病者が治癒を願って多く参詣し、その籠屋(のちに保養所)を前身とする精神病院が現在も周辺に存在する。大雲寺の旧境内地を占める北山病院は、籠屋の「若狭屋」を前身とし、「城守保養所」を経て「北山病院」となったものであり、岩倉公旧宅に隣接する岩倉病院は、「藤屋」→「岡山保養所」→「岩倉病院」となったものである(なお、近くの洛陽病院は結核療養所を前身とする)。京都では、おかしなことを言う人に(「気違い」の含意を込めた悪口として)「岩倉へ行け」などとも言ったそうである。

昭和六十年ごろ、事情不明の災厄によって本堂が廃滅し、東に少しはずれた現在地にかろうじて命脈を保ったようである。本堂廃滅の理由については、大雲寺側でそれを「人災」ないし「昭和の法難」と称していることから、何らかのトラブルがあったのだろう。隣接する墓地には、「大雲寺復興奉賛事業」による「大雲寺本堂完成予想図」の色褪せた看板が掲げられている。霊園事業によって本堂の再興がいつの日か実現することを祈りたい。
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現・大雲寺から石座神社前まで戻り、大雲寺旧参道の坂を上がる。

12:22 岩倉陵前着。石段下から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して石段を上がる。
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12:25 冷泉天皇皇后昌子内親王岩倉陵参拝。一礼して退下。

岩倉陵前からさらに続く石畳の大雲寺旧参道を奥へ進むと、その両側ともに北山病院の病棟が建っていて、病院の敷地内のようになっている。このうち向かって右側(北側)の病棟が、昭和六十年ごろまで大雲寺の本堂が建っていた場所である。

参道を奥まで進むと、「不動の滝」という垢離場と、「閼伽井」を奉ずるお堂がある。

「不動の滝」
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「閼伽井」
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「不動の滝」の方は、精神病者が滝に打たれて加持祈祷を受ける行場であり、「閼伽井」に湧く「観音水」は、精神病に加えて眼病など、首から上の病に効くとの信仰を集めていたようである。實相院門跡前の岩倉川に架かる橋が「目無橋」というのは、盲人が多く参詣に訪れたからであろうか。「不動の滝」と「閼伽井」の前には、いずれも大雲寺の御住職が記した説明板が建っており、この二ヶ所が現在も大雲寺によって管理されていることを窺わせる。

「閼伽井」のお堂脇から山中に分け入る径を進み、ほどなく實相院宮墓地の石段下に至る。

12:35 實相院宮墓地前着。石段下から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して石段を上がる。
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12:37 後西天皇皇子義延親王墓竝後伏見天皇十五世皇孫義周親王墓竝東山天皇皇曾孫建宮墓竝靈元天皇皇子峯宮塔實相院宮墓地参拝。一礼して退下。

岩倉駅に向けて帰路につく。

13:04 叡山電鉄鞍馬線岩倉駅から、出町柳行き普通電車に乗車。

13:18 出町柳着。

13:28 京阪本線出町柳駅から、淀屋橋行き特急に乗車。

14:16 京橋着。

京都岩倉 実相院
岩倉具視―言葉の皮を剥きながら
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