崇天皇白峯陵

平成二十年一月二十四日

8:59 JR山陽新幹線新大阪駅から、博多行きひかり453号レールスターで出発。

9:49 岡山着。10:02、瀬戸大橋線高松行き快速マリンライナー19号に乗り換え。

10:42 坂出着。10:47、高松行き普通電車に乗り換え。

10:50 八十場着。駅南側一帯の崇徳院聖蹟群八十場ラウンドに向かう。

10:56 岩根の桜着。崇徳院がしばしば御覧になった桜だとのことであるが、現在はその切り株らしきものと石碑があるのみである。
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11:09 野澤井(八十場の清水)拝礼。崇徳院崩御ののち、荼毘し奉るまでのあいだ御尊骸を浸して保存したという霊泉。
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11:18 白峰宮(明の宮)参拝。崇徳院の御尊骸を野澤井に浸していた間、夜な夜な神の光があった(霊木が光ったとも、金色の鳥が光ったともいう)ため、二條天皇によって建てられた神社とのこと。「明の宮」の名称も神光伝承による。地元では「てんのうさん」と呼ばれているらしい。
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11:28 高照院(天皇寺)本堂参拝。白峰宮と高照院は入口が別になっているように見えるが、高照院側の入口から入ると、白峰宮の参道を横切って本堂に向かうことになる。四国霊場七十九番。
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白峰宮参道からJR予讃線の踏切を越え、西庄の集落を抜けて、崇徳院聖蹟群雲井ラウンドに向かって歩く。

12:02 姫塚拝礼。崇徳院が綾高遠公の娘、綾の局との間に儲けられた皇女の御墓と伝えられている。
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12:06 長命寺跡着。戦国時代までは大伽藍を誇る寺院であったという。崇徳院が鼓岡の木丸殿に遷られるまでの約三年を過ごされた雲井御所の推定地のひとつ。
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長命寺跡すぐ脇の綾川の土手から新雲井橋を渡ると、すぐに雲井御所跡のもうひとつの推定地が見える。

12:14 雲井御所跡着。天保年間に高松藩主松平頼恕公によって雲井御所の地とされ、碑が建てられた。綾高遠公の後裔が大蘇鉄を二株植えたとのことだが、向かって右側の蘇鉄は切り株になってしまっている。
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つづいて崇徳院聖蹟群白峯ラウンドに向かう。途中、食事処「つくし」で昼食。日替わり定食500円。中華丼、うどん、風呂吹き大根、生玉子、香の物の五品。

13:21 松山の津跡着。讃岐に配流となった崇徳院が最初に着船された場所という。昭和六十一年に松山の津の故地と推定された、新しめの聖蹟である。
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白峯山麓の高屋町集落でバス停の確認等をしてから、県道180号線を登り始める。

13:54 高家神社(血の宮)参拝。崇徳院の御柩を白峯山に遷座する途上、俄に暴風雨があってこの地に御柩を一旦おろしたところ、畏れ多いことながら御柩から血が流れ出たとの伝承があり、一名「血の宮」と称する。血が滴ったという台石も境内に現存する。
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県道を白峯山北側に廻り込む格好でゆるやかに登って行くと徒歩専用の上り口に至る。ここから車道と分かれて石段を登ることになる。目前には稚児ヶ嶽と稚児ヶ瀧。白峯御陵はこの崖の上、ちょうど瀧の水が落ちるあたりにお鎮まりである。
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石段自体は古色の見えるものであるが、道脇に和歌を刻んだ真新しい石碑が数メートルごとに延々並んでいる。
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14:39 崇徳天皇陵前着。敷地外から写真数枚撮影。御陵前到着とほぼ同時に数分の間だけ雪が舞う。考えあって、御陵への参拝は白峯寺参拝ののちに行うことにする。
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14:50 白峯寺着。四国霊場八十一番。そこかしこに積雪が溶け残っている。先の白峰宮と区別するため、初代高松藩主松平頼重公が、山の下にある方を「白峰」、山上にある方を「白峯」と定めたとのこと。
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15:01 頓證寺殿拝礼。線香と蝋燭を捧げる。
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頓證寺殿は白峯寺境内奥にあり、崇徳院の御廟所として建てられたもの。前門には後小松天皇の勅額を掲げる。相模坊大権現という天狗の像も建てられているが、この天狗は『雨月物語』に、崇徳院にお仕えする「化鳥」として登場する。裏手に廻ると、歌碑を建てた御陵遥拝所らしきものも設けられている。崇徳天皇陵は本来こちら側(東面)が正面であったが、高松藩の修陵によって現在のように南側が正面とされた。

本堂にも参拝して線香と蝋燭を捧げたのち、門外の十三重石塔に向かう。

15:30 十三重石塔着。伝承では、源頼朝公が崇徳院の菩提を弔うために建立したものとされている。
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白峯からの瀬戸内海の眺望。『雨月物語』で崇徳院が「かの讐敵(あたども)ことごとく此前の海に尽すべし」と平氏の滅亡を予告した海である。
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崇徳天皇陵前に戻り、服装を整え、一礼して参進。

15:40 崇天皇白峯陵参拝。一礼して退下。

登って来た石段を車道と分かれたところまで戻ると、白峯北麓の青海神社前に下りていく最近造られたらしい階段がある。ここを下って青海神社に向かう。

16:20 青海神社(煙の宮)参拝。崇徳院を荼毘し奉ったとき、「紫煙棚引其の中に尊號白く顯れ暫時にして消え失せた跡に一霊玉残」った地であるといい、一名「煙の宮」という。
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白峯山北側の高松坂出道路を歩いて高屋町の集落まで戻り、琴参バス「高屋局」バス停で待つ。

17:19 琴平参宮電鉄バス王越線「高屋局」バス停から、「坂出営業所」行きバスに乗車。

17:42 「坂出駅前」バス停で下車。乗ってから降りるまで乗客は私一人だった。

17:46 JR予讃線坂出駅から、高松行き快速サンポートに乗車。昭和の御代が薫る古い車輌である。

18:07 高松着。

高松泊。


平成二十年一月二十五日

9:32 高松琴平電鉄志度線瓦町駅から、琴電志度行き普通電車に乗車。

9:50 八栗着。

9:54 神櫛王御墓前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、服装を整え、一礼して参進。
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10:04 景行天皇皇子櫛王墓参拝。一礼して退下。神櫛王は讃岐国造の始祖であり、当御墓は明治の初めに高松藩知事松平頼聰公が修築したものである。兆域内には頼聰公建立の石碑があり、宮内庁(省)仕様のものとは違う型式の燈籠も建っている。

10:15 佐藤継信公墓拝礼。神櫛王御墓の南、JR古高松南駅に向かう途上にある。佐藤継信公は屋島の合戦で討ち死にした人物。源義経公の身代わりになったともいう。写真はこの墓地を南側面から撮影したものである。後方に見える山が屋島。
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10:29 JR高徳線古高松南駅から、高松行き普通電車に乗車。

10:46 高松着。

10:50 高松駅構内の立ち喰い店で朝食。かけうどん。300円。

11:21 予讃線宇多津行き普通電車に乗り換え。

11:45 讃岐府中着。駅名のとおりこのあたりは讃岐国府の故地であり、駅の北西に綾川を渡った一帯に、崇徳院聖蹟群府中ラウンドが点在する。

12:05 鼓岡神社参拝。雲井御所から遷られた崇徳院が崩御まで過ごされた「木丸殿」の故地である。社殿に掲げられた扁額は、閑院宮載仁親王の真蹟。
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杜鵑塚。崇徳院が「啼けば聞く聞けば都の戀しきにこの里過ぎよ山ほととぎす」とお詠みになったところ、この里では杜鵑が啼かなくなったとのことで、杜鵑の供養のため建てられた塚とのこと。
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擬古堂。大正時代に木丸殿を偲ぶために建てられた記念建造物だという。
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12:13 讃岐国庁址着。
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12:26 柳田拝礼。崇徳院崩御の地との伝承がある。
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12:36 盌塚拝礼。崇徳院崩御ののち、御手許の椀などを埋納したとの伝承地。民家の庭先にあり周りもすべて畑になっているので、そばまで参ずることなく道端から拝する。
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12:40 菊塚拝礼。崇徳院が綾の局との間に儲けられた皇子の御墓と伝えられている。こちらも明らかに民家の庭先であるが、参拝者が入れるように整備していただいているので、塚前まで進んで拝する。
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12:45 内裏泉着。崇徳院に差し上げた飲用水と伝えられる。現在も清水を湛えて水草を浮かべている。
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これにて今回の崇徳院聖蹟巡拝の予定を終え、帰路につく。

13:15 JR予讃線讃岐府中駅から、阿波池田行き普通電車に乗車。

13:25 坂出着。13:28、瀬戸大橋線岡山行き快速マリンライナー34号に乗り換え。

14:06 岡山着。

岡山駅構内で昼食をとったり、店をひやかしたりして暫く過ごす。

15:17 JR山陽新幹線岡山駅から、東京行きのぞみ94号に乗車。

16:08 新大阪着。

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