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用明天皇河内磯長原陵

平成十七年九月十七日(つづき)

「太井川」バス停まで戻り、ゆるやかな登り勾配の府道32号線を東に向かう。

途中、聖徳太子御廟のある叡福寺の前を通過。さらに東進し、「用明天皇河内磯長原陵」との石標がある角を曲がるとほどなく、見事に刈り込まれた生垣に囲まれた、方形の兆域が目の前に現れる。

12:06 用明天皇陵前着。敷地外から写真数枚撮影後、カメラを片付け、汗を拭い、服装を整え、一礼して敷地へ入る。


12:10 用明天皇河内磯長原陵参拝。この御陵の詰所は、宮内庁磯長部の事務所でもある。一礼して退下。もと来た道を叡福寺まで戻る。復路は下り坂なので楽チンだ。

12:25 磯長山叡福寺着。 聖徳太子御廟を守護するために、聖武天皇の勅願により建立された寺で、新西国三十三所霊場客番でもある。汗を拭い、服装を整え、一礼して南大門から入る。伽藍の奥、丘の斜面を背に聖徳太子御廟がある。写真は叡福寺伽藍の様子。


円形の墓丘前に唐破風を持つ覆屋がある・・筈だったが、ブルーシートに覆われ修復中である。弘法大師建立と伝える結界石が墓丘をびっしりと囲むように建っている。おなじみの宮内庁制札なども備えてはいるが、長く太子信仰の霊場として崇敬された歴史の蓄積が色濃い。

聖徳太子御廟に拝礼する前に、境内社の科長岡神社や姞子皇后分骨所の場所を探し、拝礼することにする。

12:30 科長岡神社参拝。

「久邇元帥宮御遺髪塔」という七重石塔がある。宮内庁の制札はなく、『陵墓要覧』にも載っていないので治定陵墓ではない。久邇宮家で元帥に列したのは、第二代邦彦王(陸軍大将、昭和四年薨去)なので、『陵墓要覧』式にいえば「後伏見天皇廿世皇孫邦彦王髪塔」となるだろうか。


12:35 久邇元帥宮御遺髪塔拝礼。一礼して退く。

姞子皇后分骨所は、聖徳太子御廟の向かって右手側にあるが、御廟の石玉垣内であるため前まで参進することはできず、少し離れた所から拝することになる。


12:40 後嵯峨天皇皇后姞子分骨所拝礼。一礼して退く。『陵墓要覧』によれば、塀内には宝篋印塔が建つ筈である。

聖徳太子御廟前まで戻り、線香を捧げる。


12:45 推古天皇皇太子聖太子磯長墓参拝。一礼して退く。

喜志駅までまっすぐ西へ下る。

13:25 喜志駅近くの「食彩浪漫 彩雅」で昼食。「ステーキ御膳」を注文。牛ロース鉄板焼、小鉢、造り、温物(この時は茶碗蒸し)、御飯、吸い物、香の物、デザート(この時は柚子シャーベット)、アイスコーヒー。値段(1800円)の割りには良く頑張った内容で、仕事もまあまあ綺麗である。店にいる間に外では雨が降り出したが、通り雨だったようで、店を出る頃には止んでいた。昼食後、西口自転車置き場で自転車を返却。

14:02 喜志駅からあべの橋行き準急に乗車。

14:26 あべの橋着。

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