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和泉(宇度墓~西陵~百舌鳥陵墓参考地~百舌鳥八幡宮~東百舌鳥陵墓参考地)

平成十七年九月二十四日

9:02 南海本線難波駅から、和歌山市行き急行で出発。

9:45 尾崎駅でみさき公園行き普通電車に乗り換え。

9:55 淡輪着。降りた駅ホームのすぐ東隣に宇度墓がその偉容を見せているが、駅の出入り口は西側にしかないので、駅前の集落を抜けて南側の踏切を越える。踏切の先、周濠畔の道沿いに宇度墓拝所がある。

10:07 宇度墓前着。豊かに水をたたえた周濠には、睡蓮の花がちらほら見える。拝所は、前の狭い道から周濠側にほんの少し出っ張りを造り、そこに石柵で囲んだ鳥居と制札を窮屈に押し込んである形なので、参進すべき一般拝所もなく、そのまま路上で拝礼することになる。写真数枚撮影後、カメラを片付け、汗を拭い、服装を整え、路上にて参拝前の一礼。
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10:20 垂仁天皇皇子五十瓊敷入彦命宇度墓参拝。路上にて一礼して退去。宮内庁の詰所は前方部周濠畔の隅っこに建っている。引き続き御墓を周回する。後円部近くで陪冢らしき土盛りを二ヶ所見かけたが、制札も石標も見当たらず、わずかに境界石(赤ペンキ塗りのヤツ)の存在から陪冢と判断。

国道26号線を南西に向かう。昭和の頃までは海浜リゾートのメインストリートとして賑わったのだろうが、今はレストランなどの廃墟が連なり哀愁を誘う。

11:01 西陵(さいりょう)前着。宮内庁管理の陵墓ではないが、先ほどの宇度墓よりも大きな前方後円形の塚で、紀小弓宿禰(きのをゆみのすくね)の墓ではないかと言われている。岬町教育委員会が建てた説明板に雄略紀該当部分の要約があり、雄略天皇九年、新羅征伐のため紀小弓宿禰を大将軍として遣わすが彼地にて病にかかって薨じ、妻が遺骸を持ち帰ったがどこに葬ってよいものかわからず、勅を奉じた土師連小鳥(はじのむらじをとり)が、田身輪邑(たむわむら)に墓をつくったのだとのこと。
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今回は訪れなかったが、淡輪の氏神、船守神社には紀船守とともに五十瓊敷入彦命、紀小弓宿禰が祀られている。

11:32 南海本線みさき公園駅から、難波行き急行に乗車。

12:06 羽衣着。一旦駅を出て2分ほど歩き、JR東羽衣駅へ移動。

12:22 JR阪和線東羽衣支線東羽衣駅から、鳳行き普通電車で出発。

12:25 鳳着。12:27、天王寺行き普通電車に乗り換え。

12:34 百舌鳥着。駅前の御陵通を、仁徳天皇陵とは反対側の東に向かって歩く。

12:40 百舌鳥陵墓参考地前着。塚丘部のみが陵墓参考地で、周濠は地元が溜池として管理している。制札や石標は塚丘のどこかにあるはずで、カメラを望遠鏡代わりにちょっと探してみたが、まわりを完全に一周する道がないこともあって、見つけることはできなかった。
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12:55 百舌鳥八幡宮参拝。ふとん太鼓で有名な秋祭が一週間ほど前にあったばかりで、境内には紙吹雪に使われた紙がまだ散らばったままだ。四月に履中天皇陵であった千六百年式年祭には、同宮の工藤宮司が参列されていた。
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さらに東へ向かう。

13:31 東百舌鳥陵墓参考地前着。全国八番目の大きさの前方後円形の塚で、よく整った形を今に伝えている。くびれ部の「造り出し」は、特に北側では目で見てはっきりと確認できる。まわりを一周できる遊歩道があるので、早速廻ってみる。
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13:55 東百舌鳥陵墓参考地制札対岸着。場所は後円部側、方角で言うと東側で、周濠を渡って塚丘に繋がる細い地続き部分が造られており、その塚丘側の岸辺に石柵と黒い鉄扉が見える。こちら側の岸にも進入禁止柵があるので渡って行くことはもちろんできないが、ズームで撮影すると石柵の内にホームベース形制札が立っているのもわずかに確認できる。なお、このあたりの周濠は干上がっている。

東百舌鳥陵墓参考地の周濠まわりを一周したのち、御堂筋線のなかもず駅まで歩く。

14:35 大阪市営地下鉄御堂筋線なかもず駅から、千里中央行き電車に乗車。

14:51 天王寺着。

宮内庁書陵部所蔵 古鏡集成
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